小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』
薬草実習から戻ると大学は後半戦に突入し、メンツィカン名物の暗誦試験に向けて全員が準備に取り掛かる。教典と解説書を合わせて80分にも渡り早口言葉のスピードで暗誦する姿は究極の隠し芸といってもいい。雨季が明けた穏やかな気候のもと、武者震いをしたくなるような緊張感に包まれるこの時期が僕は妙に好きだ。
八世紀に医聖ユトクによって編集された四部医典(チベット語でギューシ)は中国、インド、イスラムの三つの医学体系のエッセンスを集約して完成したといわれており、その名の通り四つの部門(根本・論説・秘訣・結尾)から成り立っている。
クン・ドゥ・コンペー・ウドゥンバラ・ダー
ギューシは極めて希少なウドゥンバラのようだ 四部医典結尾部第27章
ウドゥンバラ(日本名、ウドンゲノキ・優曇華の木)は聖なる国インドに生え、三千年に一度しか花を咲かせないといわれている伝説の花。それくらいギューシの誕生は奇跡的だと伝えているのだろうか。しかし現在ダラムサラでは意外と身近にこの伝説の木を見つけることができるのは、恐らくクムタ(第10話参照)と同じ理由かもしれない。また、夢を壊さないためだろうか“現在は地球上に存在しない”と主張する声も少なくはない。だとすると以前に咲いたのはお釈迦さまの時代というから2500年も休眠している計算になる。
教典は全般に渡って一節が9つの文字からなる詩文形式で書かれていることからリズミカルに暗誦しやすいという特徴があるものの、難解な専門用語を記憶に刻み込むのは決して簡単ではない。それでも1年生時は最も分量が少なく、進級するにつれて課題は厳しくなっていく。そして卒業時の11月には全生徒職員に囲まれ実に3〜5時間にも及ぶ三部暗誦試験(秘訣部を除く)通称ギュースムが行われる。数にして約8万文字、1秒当たり5〜7文字のペースで暗誦し続けるという人間の能力の限界に挑む試験はアムチ・チベット医への最後の階段を登りつめると呼ぶに相応しい最高の見せ場でもあるのだが、近年、つまり1959年以降は希望者だけが挑戦することになっていて必須課題ではない。
「暗誦なんて時代遅れな学習法だ」という意見は以前からあり「な、そう思うだろ。オガワ」と外国人の僕に同意を求められることは頻繁にあるが、実は、少なくとも僕にとってだけは意義のあることだと感じている。それはちょうど薬草実習で毎日、薬草を採り続ける行為と似ているのではないだろうか。ヒマラヤで薬草を体に染みこませるように、僕にとっては外国語のチベット語を心に染みこませていくという貴重な機会だと思っている。そして心に溶け込んだ医学教典はある時、僕の意思を越えて何かを語りかけようとするに違いない。もしかしたらこの教典には魔法が掛けられているのではないだろうか。全てを暗誦し教典と一体化したときに初めて伝説のウドゥンバラとともに古代における真理が脳裏に甦る魔法が。
2002年12月、いよいよ一年生の僕にとって初めての暗誦の順番が回ってきた。先生方は連日の試験監督で疲れているという情報が入っていたこともあり、僕はある計画を実行することを直前に決定した。前代未聞の出来事に先生は「ふざけるな!」と激怒するかもしれない。ドキドキしながら四方を先生に囲まれた中央に胡坐で座り、薬師如来に祈りを捧げると、眼をつむり、まるでお祖母ちゃんが孫におとぎ話を語るように、抑揚をかなり大袈裟に付けて暗誦を始めた。
「むかーし昔、そのまた昔、聖者様たちが暮らすタナトゥクという薬の都がありましたとさ。都の大きさを計ろうにも大きすぎて見当がつきません。その町の建物は全て金、銀、ラピスラズリ、真珠でできており・・・(四部医典序章)」
おとぎ話の世界から戻りゆっくりと眼を開けると先生方は大きな拍手と笑顔で僕の一人芝居を讃えてくれた。思えば小学校2年生の時「次、小川君読んでください」とあてられ、なぜだか突然、笠地蔵の物語を一人芝居のように演じてクラスを大爆笑させたことがある。今、振り返ってもなぜそんなことをしたのか見当がつかないが、あの日のセリフ、席の位置、みんなの笑い声、「笑っちゃいけません!小川君は真剣なんです」という先生の怒鳴り声、それら全てを鮮明に思いだすことができる。そしてあのとき、笠地蔵はおまじないをかけて一粒の種を僕の心に植えてくれたのかもしれない。30年後の2007年11月14日、楽しさに満ちたウドゥンバラが開花するように。M先生、あのときのことを覚えていますか?今度の11月、僕の卒業式ギュースムを是非、聴きにいらしてください。