小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』
毎朝9時ちょうど、メンツィカンの屋上で全生徒が整列したのを確認すると生徒会長が元気よく号令をかける。
「ブーギ・ゲルカプ・チェンボ・ゲルー・チク・ニ!(大チベット国歌斉唱、一、二!)」
5年間の在学中に歌ったチベット国歌の回数は、生まれてから歌った日本国歌の通算回数を上回ったのではないだろうか。元来、歌が大好きな僕は、毎朝、チベット人の誰よりも大きな声で気持ちよくチベット国歌を歌うことから、ことさら調子がよかったときは、斉唱後に彼らから握手を求められることもある。
卒業後、こうして振り返ってみると、毎朝、たった三分の出来事の積み重ねが、僕とチベット人との信頼関係を保ってくれていたのかもと思うときがある。なにしろ僕はチベット医学と亡命チベット人社会の現状に対し厳しい批判を加え続け、ことあるごとに敵役に回っていたのだから(第18話参照)。とはいえチベット社会と関わる前は、自国の政治や教育に関して典型的な若者のごとく無関心だったことを考えると、いい気なものだと我ながら恥ずかしくなる。靖国問題を始めとした中国と日本の問題がラジオで流れるたびに「オガワはどう思う」と当事者としての見解を求められる。特に第二次世界大戦中の日本に関する興味はことさら強いことから、お調子者の僕はにわか歴史家のごとく、同級生たちを前にして当時の世界情勢を熱く語ったものだった。
「日本の若者は政治に関心がないというのは本当か」という彼らの問いは「無宗教とはいったいどういうことだ?」と同じく、摩訶不思議なフィクションの世界のように映るらしい。
そんなある夜、寮の部屋で二人きりになったことを確かめると、同級生の一人が意を決したように僕に話しかけてきた。
「オガワ、お前は外国人として誰よりもチベット人の中でともに暮らし、チベット人の心を理解していると思っている。だからこそ訊きたいんだ。チベットはこれからどうなると思う。おまえの率直な意見をきかせてくれないか」
普段はあまり政治的な話をしない彼の突然の質問に、やや戸惑ったものの、独立という甘い言葉だけではない外国人の本音を知りたいという真剣さを感じ、僕は言葉を慎重に選びながら語り始めた。
「もちろん独立を勝ちとれば最高だよな。でも・・・現実は・・・難しいんじゃないかな。このまま少しずつ宗教の自由が認められ、ネパールとの国境が緩やかになりチベット人が自由に行き来できるようになれば、とりあえずはいいんじゃないかと思う」
彼は僕の飾らない言葉を発する性格から答えを予想し、それに対する反動を利用して普段は口にできない強気な発言をしたかったのでは、と今になって思う。
「オガワ、失望したよ。お前はまだチベット人を何もわかっちゃいない。俺たちは独立を勝ち取らなければ決して満足しないんだ。国が無いという辛さがお前にはわかるまい」
彼の僕を突き放すかのような言葉に、じゃあ最初から尋ねなきゃいいだろうと心の中で憤慨したものの、ただ黙ってうなずいていたものだった。そう、確かに僕にはわからない。国が無いとはいったいどういうことなのか。
そして2008年3月チベット動乱。20日の今日、病院の窓からは中国政府に対するデモ行進の隊列が見える。患者はほとんど訪れず開店休業状態なことからこうして診察室でエッセーを執筆できている。チベット系商店はすべて自主的に閉店し不気味なまでの静けさが漂うものの治安は極めて正常に保たれている。小さな子供から年寄りにいたるまで、誰もが民族を憂い、国を願っている。戦前の日章旗を原案として1913年に作成されたチベット国旗がなびく街を眺めていると、まるで昭和16年前後の日本にタイムスリップしたかのような錯覚に囚われた。デモ行進をする彼らの頭上にはリ(ヤマナシ)の真っ白な花が桜のごとく散っている。いまダラムサラの山肌を彩る白い花の美しさに、こうして心を奪われる余裕があるのは、やはり自分が第三者だからなのだろうか。それでもいい、頬をつたう白い花弁の可憐さが彼らの辛い現実を一瞬でも癒してくれたらと心から願っている。