小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』
後日、B氏に確認したところそれは1995年に放映されたという。アジアのどこかの山奥で日本人がタンカ(チベット仏画)を描き続けているというドキュメンタリーを僕は日本のどこかで何かをしながら何気に見ていたような記憶がある。こんな凄いところに日本人が住めるんだ・・・自分には一生、縁のない世界だろうな・・・、そんな微かな感触が心に残ったに過ぎなかったにも関わらず、それから4年後、ダラムサラの街で偶然、長身長髪のB氏に出会った瞬間、記憶の彼方からあの番組が劇的なまでに蘇った。なんと信じられないことに、あのときの自分の視線の向こう側に、いま自分は立っているではないか。
2008年の今年で在住30年、ダラムサラの移ろいゆく人の流れの中で(第29話参)、 B氏よりも古い御仁というと法王を含め数十名ほどしかいらっしゃらないのではないだろうか。街の喧騒をさけた静かな山の中、ヒマラヤ杉に囲まれるようにB 氏宅はたたずむ。思えば普段は酒を酌み交わしなから、とりとめもない話で盛り上がるものだが、2005年12月のあの夜だけは「人はなぜ生き、なぜ死んでいくのか」という話題に時を忘れて語り合ったのも不思議な偶然としかいいようがない。なぜならそうして遠く離れた僕の祖母の死に際に自分も関わっていたのだと慰めることができたのだから。誰よりも、古きよき日本人の生き様を体現しているからであろう、その名もサムライコテージは心の奥深くで日本とつながることが可能になっているのかもしれない。
暖炉に薪をくべて土壁に反射する音楽を聴きながら静かに夜は流れていく。夜の10時ごろおいとまし空を見上げると必ず満点の星空に心奪われる。そうして少しずつ繁華街に近づき星の輝きが失せてくるに従い、普段いかに自分たちが俗っぽい世間に暮らしているかを強烈に自覚することができるのである。だから僕たちはたまに「仙人」と敬意をこめて呼ぶ。
そんなある日、B氏からシュケンの木を教えてくれと頼まれた。赤い塗料であるギャケック(ラック染料)にシュケンの葉を加えると化学反応が生じ、さらに鮮やかな赤色へと変化するのだという。「シュケンが無ければギャケックは水と同じだ」という諺もある。ちなみに両方ともチベット薬に用いられる貴重な薬草である。
シュケン・ツォ・ツゥ・ロケル・ダムツェ・セル
シュケンとギャケック、茜(アカネ)は、肺の病、蔓延熱を癒す。
四部医典論説部第20章
シュケンは落葉広葉樹で、さしたる特徴がないことから普段はなかなか気がつかないが、4月のほんの一瞬、それは桜の開花期間よりも短い、ほんの3日ほどだけ線香花火のような白い花を咲かせてその存在を知らせてくれる。その昔、ギャケックの塗料の中に偶然シュケンの葉が舞い落ちたとき、仏画の歴史に新しい手法が加わったのだろうか。だとしたらそれは劇的なまでに運命的な出会いだったといえるだろう。リンゴが落ちたときに万有引力の法則が発見されたように、新しい知恵が発見され歴史が始る瞬間とはなんと神秘的なのだろうか。だから、僕は何度も空想をめぐらせるのだ。大昔、一枚の葉の周りの赤い色が変化していることに気がついたとき、絵師はどんなに驚いたであろう。
いや、もしかしたら、色んな葉っぱや鉱物と混ぜて実験して科学的に導かれた結果なのかもしれない。何千という薬草の組み合わせの中で、なぜ、この二つでなくてはならなかったのか。それは宇宙の真理ともいえる出会いなのだろうか。そんな真の出会いにたった一度の人生の中で僕たちは何度めぐりあえるだろう。もしかしたらB氏も、そして僭越ながらこの僕も、出会いを求め、偶然、ダラムサラという異境に舞い落ちたシュケンの葉のようなものかもしれない。母国を離れ、世界のどの街でもなく、ここでなくてはいけなかった。あのとき、ブラウン管に映るB氏を通して、僕はダラムサラと神秘的な出会いをしていたのかもしれない。
いや、待てよ、もしかしたら色を変える葉は他にもあるかもしれないように、ダラムサラでなくてもよかったと、いじわるに考えることができる。無数の選択肢のなかで真理と呼べるものなんてないのだと。しかし、数多くの出会いの中で、B氏とタンカとの出会いを真理へと昇華させたのは、今に至る30年の歴史であるのは間違いない。
「地道に続けること、それが一番大切だ」。B氏の口癖はいつも僕の心に突き刺さり、まだたったの8年、とB氏、つまり、馬場崎研二氏のタンカは僕にそう語りかけてくる。
参考 「異境」 馬場崎研二著 日貿出版社
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