第43回●「ダワ」わからない変わらないを生きる チベット医・アムチ小川の「ヒマラヤの宝探し」

ダワ サトイモ科 日本名 マムシ草

(2008年6月5日早稲田大学農楽塾講演会。信州の山から採取してきた薬草を一つ一つ示しながら)

植物は大きく分けて「食べられる科」と「食べられない科」に分類されるんだ。はい、そこの君、これは食べられるかどうか、直感で当ててみて。え、食べられるって。おいおい、早くも中毒患者が出ちゃったよ(笑)。これはチベット語でダワ、漢方では天南星、日本名はマムシ草といって、虫下しに用いられる薬草であり毒草。サトイモ科は有毒植物が多くて里芋は例外的に食べられる農作物というと意外だったかな。

ダワ・ツァウェ・スィンソ・ルーゼル・ゴク
マムシ草の根は寄生虫を殺し、刺さった釘を抜く。(『四部医典』論説部第20章)


さあ薬草ゲームはこれくらいにして本題に入ろう。きっとみんな医学のことよりも「チベット問題」のことに興味があるんじゃないかな。そうだね、まず関が原の合戦を例に取り上げて考えてみようか。いまならこうして年表で振り返るといかにも凄い戦いがあったって思うだろうけど、意外と当時の庶民は、ちょっと小耳に挟むくらいであまり関心がなかったんじゃないかと僕は想像するんだ。応仁の乱にしても、明治維新にしても、都市部では大騒ぎでも、日本の大多数を占める農民にとっては目の前の農作業や天気の心配で精一杯だったと思う。

 なぜかっていうと、8年前のインド・パキスタン紛争の際に、日本の外務省がダラムサラ周辺の日本人に退避勧告を発令したときも、実際には平穏そのものだったし、9.11テロのときは山に入っていたから3日後に知り、南インドの津波も日本からのメールではじめて知ったくらいで、あまり話題にはなっていなかった。テレビもラジオも無い中で暮らしていると、情報に鈍感になるというより、真実はわからない、ということに不思議と敏感になっていくんだ。

早稲田大学農楽塾で語る筆者。 テーブルには薬草が並ぶ。<写真提供 農楽塾>

同じようにいまの「チベット問題」に関しても、ダラムサラにいる僕より日本のニュースに触れているみんなのほうが詳しく知っているんじゃないかな。日本ではデモの場面ばかりが放映されていたようだけど、現地では積極的に求めない限り情報は手に入らないし、憤りを感じつつも日々の営みを粛々と行っているチベット人も意外と多いんだよ。そして、そんなチベット人の変わらない部分に僕は魅力を感じるけれど、決して報道されることはないよね。どんな事態になっても情報に左右されない「わからない」人間が多数を占めている社会というのは意外と安定しているんじゃないかな。だから、チベットは大丈夫、ってついつい楽観的な発言をして日本の活動家から怒られたこともあるんだ(笑)。

 日本史の先生がこんなことをいっていた。「日本の歴史の中で一番大きな転換点は関が原でも明治維新でも戦争でもなく、昭和35年以降の高度経済成長じゃないか。そこで何千年と変わらなかった農村部が変わってしまった」と。つまり農村部にまで情報が瞬時に行き渡るような均一化した社会になったことが日本の大きな転換点であり、いまも僕たちはその中に身を置いているんだよ。それが良いのか悪いのかは別にして、どんなに情報が豊かでも直接、見えないことは分からない。でも、眼の前の畑の野菜が日本国民の誰かのお腹を満たすというのは間違いない。僕が昔、農業に憧れを抱いたのはそんな安心感からだと思う。

医学の歴史も同じように実際のところ太古の昔から1950年くらいまではほとんど変わらなかったと思っている。事実、中世のペストや天然痘、20世紀初頭のスペイン風邪の流行などでは医学は結局のところ無力だったんだ。そんな何千年と変わらなかった医療が抗生物質の発見と栄養状態の向上、医療機器の発展によって劇的に変わってしまったし、それは間違いなく素晴らしいことだと思う。でも一方で変わらないこと、これもとても大切なんだ。僕たちチベット医学生は何千年前もそうであったように、山で薬草を採取し、医学の教えを暗誦し、寮で寄り添うように暮らしている。最先端医療の一方に医学の源流ともいうべき営みが変わらずにある。同じ地球の同じ時代にその両方があることは医学にとって大切なことじゃないかな。

K園芸で働く筆者。長野県佐久市望月町。1998年5月撮影。 写真提供 谷野賀津代様

僕の運転免許証をみてほしい。ほら大型特殊のところに印があるでしょ。正直言って、薬剤師の免許よりもトラクターを運転できる資格のほうが僕にとっては自慢なんだ。こう見えてもフォード製の馬鹿でかいトラクターも運転できるし、長野県のK園芸で働いていたころは筋肉ムキムキだったんだ。そして日本に戻ったらもう一度農業をやりたいって、いまでも思っている。日本の変わらない部分を守りつつ、「わからない」を楽しく生きていきていきたいね。そうだ、今度は畑で働きながら語り合おうか。

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