小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』
2008年8月、僕は勤務先の病院から休暇をもらい、薬草実習に是非参加したいという日本の学生Kと一緒にマリーを目指した。とはいえ内心は足取りが重い。今年は記録的な大雨で実習は大混乱に陥っているという。真夜中にテントが暴風雨で吹き飛ばされそうになり、後輩たちはみんなびしょ濡れになりながらテントの紐を掴んで堪えていたという情報がダラムサラまで伝わってきていたのである。そんな中、先輩風を吹かせて物見遊山で行くのもどうかと悩みつつ「ちょっと参加したらすぐに帰るからね」と弱腰な姿勢で恐る恐るベースキャンプに近づいていった。つい昨年までは向こう側、つまり生徒側にいて、その心境がよくわかるからこそ遠慮が生まれてしまう。ところが、である。こちらの日本人的な卑屈な笑顔に対し後輩たちは満面の笑顔を返してくれ「オガワ、よくきたなー」とまったく先輩扱いしない馴れ馴れしさも、どこか面はゆい。
「ジグメ、いや、ジグメ先生はどこにいる」
学生時代の大親友、ジグメ(第2話参)を真っ先に探した。彼は卒業後、願いが叶い製薬工場に配属がきまり、今回は実習の責任者として生徒を引率しているはずだ。
「ジグメ先生は、明日の薬草鑑別試験(第8話参)のために朝7時から薬草を山に採りに行ってまだ帰ってきていません。みんな心配しています」
もう夕方の5時になり日は沈もうとし、さらに雨は朝から降り続いている。しかし、彼のたくましさを誰よりも知っている僕はむしろ嬉しくなった。生徒が心配するほど率先して山に入っていく姿に生徒が励まされないわけはない。ジグメらしい統率のしかたに、きっと今ごろびしょ濡れになりながら帰路を急いでいる彼の姿が脳裏に浮かんだ。やはり彼には大自然が似合っている。
2008年薬草鑑別試験
翌日、薬草鑑別試験に飛び入り参加し「12番の薬草なんだった。しまったー。間違えたよ」と後輩たちとひとしきり盛り上がったその夜、ジグメとチャイを飲みながら膝を突き合わせた。こうしていると学生時代と何も変わってないような錯覚に陥るが、隣にちょこんと座っているKの異質な存在が、僕たちはもう卒業したんだということを思いださせてくれた。
「正直言ってさ、後輩を冷やかしにきたみたいで、みんなから疎まれるんじゃないかと冷や冷やしていたんだよ」。
僕の言葉にジグメはニヤッと笑った。
「覚えているか。あのタンクンの山で遭難したことを(第4話参)。あの山へ引率する前には何度もオガワの名前を出して、いかに危険な場所であるかを説明したんだ。だからみんな遠くへは離れず無事に戻ってこられたよ。そこだけじゃない。どのポイントへ行っても俺の思い出の中にはお前がいる。だからいつも“オガワと、あーだった、こうだった”と説明していたからお前はもうすっかり有名人だ」
後輩たちが親しみをもって僕たちを迎えてくれた理由がようやくわかった。
「新入生に韓国人がいるだろ(第15話参)。彼女に“日本人は本当によく働いたよ”というと頑張ってくれるんだ」。ジグメの顔が悪戯っぽく輝く。
「へー、ジグメ、よく知っているな! 韓国人にとってそれ以上の発奮材料はないぞ」。
彼らはこれから成長してチベット医・アムチになっていくだろう。そんな一人一人の心の片隅にオガワという日本人が存在し、メンツィカンの歴史の中で細々とでも語り継がれていくならば、僕はそれだけでこの10年間の旅「ヒマラヤの宝探し」を有意義だったと総括できる。
翌日、試験が終わった打ち上げも兼ねて、聖なる湖ラツォへ生徒全員で巡礼に出かけることになった(第3話参)。すっかり生徒たちと馴染んだKが道すがらしゃがみこんで高さ2cmほどの小さな青い花をじっと見つめている。デワ・ユチュン、“幸せの小さなトルコ石”という意味だよ、と教えるとますますその魅力に引き込まれたようだ。ヒマラヤで出会った数多くの薬草の中でこれが一番、気に入ったという。なぜ、と訊くのは野暮というもの。出会って心を惹かれることに理屈なんていらない。たった一つだけでいい、自分の大切な薬草・宝物に出会えたならば、このヒマラヤの宝探しは大成功だったと宣言できるのだ。
一昨日まで降り続いた雨は止み、濃青色の空が広がっている。聖なる湖ラツォは鏡のような静けさをたたえて僕たちを迎えてくれた。
補足 デワ・ユチュンのデワには本来、特別な意味は無いが、同音異義語として「幸せ」と掛けることができる。
聖なる湖ラツォ。捧げられた黄色い花は
トンリ・スィルパ(第39話参)
ジグメは仏教の授業も担当している。