小川 康の 『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』
中央に描かれているのが主人公の晴ボン
小学校5、6年生のころ『すくらっぷ・ブック』という連載漫画に夢中になっていたことがある。物語の舞台は長野県小諸市。実在する芦原中学で繰り広げられる友情、恋愛、悪戯、なんでもありの学園青春ドラマは、これから中学生になり大人への階段を登り始める僕たちの心をタイミングよく捉えた。あのころ、僕は背が小さくて童顔だったことから主人公の晴ボンに似ていると言われ、まんざらでもなかったのを覚えている。描かれている小諸の町並みや、懐古園、浅間山を眺めているうちに、すっかり感情移入してしまい、いつか小諸に行ってみたい、そう願うようになるのは自然な流れだった。生まれて初めて遠くの知らない町に憧れを抱かせてくれたのだ。それはきっと作者の小山田いく先生が故郷の小諸をこよなく愛していらしたからではないだろうか。
そして、あのとき心に刻んだ憧憬は30年後の自分の人生に影響を及ぼすことになる。もちろん小諸に住むことになったのは、たまたま知人の紹介で、手ごろな空き家に運良く出会えたからに他ならない。とはいえ契約を終えた後、タクシーの運転手や喫茶店のマスターに「あのー、『すくらっぷ・ブック』っていう漫画を知っていますか?」と何度も尋ねたのは憧れの街に住める興奮を抑えられなかったからだろう。しかし「いや、知らないねー」と声を揃えて返されたとき、ふと、あれは小さい頃の幻影だったのだろうかと不安になったものだった。
チベット仏教では前世のバクチャ(薫習)によって今生の行いや性格が定められるという。バクチャ、直訳すると“付着した匂い”である。あのときの無邪気な願いの薫香は30年間、心のいったいどこに付着していたというのだろうか。
時を経て初めて言葉が顕在化することはよくあることなのかもしれない。そもそも、僕がチベット医学を目指すことになったのも、ある何気ない一言が原因だったのだ。あれは薬草茶会社に勤めていたとき(第45話参)、仕事帰りの居酒屋だったと思う。
「小川君、チベットって知っているかい?」
「チベットって、確か、ヒマラヤかどこかにある秘境のことですか?」 敬愛する上司の突然の一言に戸惑いながら答えた。
「うん、実は僕もチベットってよく知らないんだ。それなのに小川君と初めて出会ったその瞬間、チベットという単語が強烈に脳裏に浮かんだんだ」
それは、ダラムサラに渡る4年半前、1995年の出来事。
そしてその言葉がどこか心の片隅に付着していたのだろうか、2年後『チベット医学』(春秋社)という本になぜか手が伸び、3年後、池袋東急・チベット展ではマニ石(真言を彫った石)というペンダントを買ってしまった。
それから半年後。
「ねえ、ちょっと、あなたどうしてマニ石を身に着けているの。もしかしてチベットに興味があるの」
1998年の春、長野・飯綱高原のペンションで同泊の女性Fさんが驚いたように反応した。チベットが大好きな彼女は、インド・ダラムサラという街で看護婦のボランティアをしているという。ダラムサラ・・・、そういえば、チベット医学の本のどこかに出てきたっけ。そんなインドの山奥にも日本人が住めるんだ・・・。そしてこの偶然の出会いが最終的に僕をダラムサラへと導くことになる。ちなみに彼女は現在、チベット人と結婚し2児の母として東京で暮らしている。
あれから10年後、アムチとなって帰国した僕は小諸の街をいつもゆっくりと歩いて移動している。すると、漫画で描かれている多くの風景に出会うことができる。晴ボンが感じていた小諸の厳しい寒さを共感することができる。遠くに真っ白な北アルプスの山並みが見渡せる日は「あれは雪のエアポートなんだよ」と表現した晴ボンの言葉が蘇る。つい先日は実名で登場しているS写真館をちょっと照れながら訪れた。「Sさんは、本当に坂口君が好きだったんですか?」と尋ねると「あれは作り話よ。でもね、本当にあの中学校時代はあんな感じで、みんな仲が良かったのよ。そう、小諸に引っ越してきたんですか。小山田も喜ぶと思いますよ。締め切りが近くて忙しいけれど、機会があったら伝えておきますね」。
自分の願いの波動が時を越えて自分に返ってくる。そして、その波動は30年前、戸出西部小学校5年1組の自分へと連れ戻してくれる。だから、小学生の自分がダラムサラ時代を懐かしんでいるという不思議な感覚に囚われてしまう。時間軸がすっかり逆転してしまうのだ。いや、待てよ。こうも考えられないだろうか。10年間に渡ったメンツィカン時代の心のスクラップブックをしっかり整理するために、あのときの自分が小諸に呼び寄せたのだと。
小諸は厳しい寒さも峠を過ぎ、ポツン、ピチョんと雪解雫(ゆきげしずく)の音が聴こえだした。さあ、もうすぐ初めての春がやってくる。
小諸から見える浅間山