●文・写真:寺山 元 (元風の旅行社大阪支店支店長)
風の旅行社のスタッフ(当時)、寺山 元が 2000年5月に、ヒマラヤのチョーオユー峰(8,201m、世界第6位 )に登頂し、山頂からのスキーで滑った際の記録です。8,000m峰山頂からのスキー滑降は、日本人としては初めての事でした。
イエティ同人2000年チョーオユー登山隊について
イエティ同人といえば、知る人ぞ知る、80年代のヒマラヤ登山界をリードした先鋭的岳人集団。その中心人物であった雨宮さんが声をかけ、「自己責任」「均等負担」「全員登頂」を合言葉に、チョーオユーに登りたい人が集まった、出身も年齢もバラバラな13人であった。均等負担、全員登頂を成し遂げるため、荷揚げ、ルート工作などは全てシェルパに任せ、酸素や最新の装備を用い、軽減できるリスクは限りなく少なくした。あとは「自己責任」で、自分の体調を仕上げ、登ることに専念する。言わば、自分たちの責任で公募登山隊を仕立ててしまったようなもの。集まった13人のウチ7人は60代のベテラン。寺山は当時33歳で最年少であった。
結果は、隊員9人とシェルパ8人全員が登頂。大成功であった。しかも8,000m峰登頂の最高齢を更新した65歳を筆頭に3人の60代が登頂、山頂からのスキー滑降(日本人初)など、それぞれの自己表現を果たした。
参加の経緯
「チョーオユーに行かないか?」 風の旅行社の水野さんからそう誘われた時、瞬間的に「行きます」と答えていた。
北海道での大学時代は、山スキー部で過ごし、ずいぶん山には登ったような気がしていた。しかし91年にポカラから初めてヒマラヤを見たとき、明らかに違う巨大さに、圧倒され、登ろうなんて思いは消し飛んでしまっていた。その後、縁あって風の旅行社に勤め、ヒマラヤの麓を訪れることも数回。ひょっとしたら、あの神の座まで、自分の足で繋げることができるのでは? そんな思いがよぎるようになった。
30歳を超え、自分の可能性に対するいくつかのあきらめと、何ものかへの冒険心が、灰に埋もれた熾火のようにくすぶっている様な時期だった。家族もしがらみも責任もある、それらを背負ったまま、やりたいことをやる、ここで人生に一つのけじめをつけたい。そんな思いの実現の場を求めていたところに、チョーオユーの話がきた。
だから、別にヒマラヤでなくてもよかったのである。だいたいチョーオユー登頂が冒険として評価されたのは30年前の話、別に目新しい登山ではない。スキーにこだわったのも、「日本人初」を狙ったわけではなく、単にスキーが好きだったから。それ以上の理由はない。極めて私的な自己表現のために、偶然巡ってきたヒマラヤ行きを決めた。1999年3月末のことだった。
スケジュール ★の日はマウスオーバーで画像がご覧いただけます
~準備行動~ | |
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1999年10月 | 南米エクアドル:コトパクシ峰(5,980m)、チンボラソ峰(6,301m) |
1999年12月 | ネパール:カラパタールトレッキング |
2000年3月 | 鹿児島県、鹿屋体育大学:低酸素室トレーニング |
~~カトマンズまで~ | |
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3/29 | 日本出発(関西空港~カトマンズ) |
3/30~3/31 | カトマンズ滞在、隊荷梱包など |
~高度順応:ランタン谷ヤラピーク~ | |
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4/1 | カトマンズ=(車)=シャブルベシ |
4/2 | シャブルベシ~ラマホテル |
4/3 | ラマホテル~ランタン |
4/4 | ランタン~キャンジンゴンパ |
4/5 | キャンジン滞在。(対岸の斜面でスキー?!) |
4/6 | キャンジン~ヤラBC |
4/7 | 順応日(スキー2本) |
4/8 |
★ヤラピーク・アタック
未明からのピークアタックは、好天に恵まれ、無事ピークへ。サーダーと協議の上、登ってきた尾根より一つ北の尾根をスキーでトライすることにする。アイスバーンだが一部を除き、さほど急でもない。割と楽しく滑る。まだまだ踏ん張りが利く。 とにかく、「この程度の体調ならこの程度は滑れる」という高所スキーの目安ができたことが大収穫であった。 |
4/9 | ~キャンジン |
4/10 | ~ラマホテル |
4/11 | ~シャブルベシ |
4/12 | =(車)=カトマンズ |
4/13~15 | カトマンズ滞在 |
~チベットへ、ベースキャンプへの道~ | |
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4/16 |
★カトマンズ=(車)=ザンム
ついに見えた!チョーオユー、そしてエベレストを遠望 |
4/17 | =(車)=ニュラム |
4/18 | =(車)=ティンリ=(車)=TBC(チベットベースキャンプ) |
4/19 |
★TBC滞在
TBC全景。大きなテントに中国のリエゾンオフィサーがいる。 |
4/20 |
★TBC~中継キャンプ:バルン
中継キャンプ・バルン。チョーオユーが近づいてきた。 |
4/21 |
★~ABC(アタックベースキャンプ)
ABC到着。既に10隊近くがキャンプ入りしていた。 |
4/22~25 |
★ABC滞在
ベース入りをコーラで祝う。けっこう顔がむくんでいる。 |
4/24 |
★プジャ(ベースキャンプ開き)
プジャの後の集合写真 |
~登山活動~ | |
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4/26 |
★ナンパラ峠および、6,100mピーク周辺でスキー
6,000m台のスキー。悪雪だがそこそこイケル。 |
4/27 |
★C1往復
C1全景。左手の尾根の向こう側から登ってくる。 |
4/28 | レスト |
4/29 | C1往復 |
4/30 | レスト |
5/1 | ABC~C1:C1泊 |
5/2 | C2タッチめざすが、6,000m付近で引き返し。C1泊 |
5/3 | C1~ABC |
5/4 | レスト |
5/5 | レスト |
5/6 | ABC~C1:C1泊 |
5/7 |
★C1~C2:C2泊
第1アイスフォールの核心部へ。 |
5/8 | 7,300mまで往復後、C1へ:C1泊 |
5/9 | C1~ABC |
5/10~12 | レスト |
5/13 | ABC~C1:C1泊 |
5/14 | C1~C2:C2泊 |
5/15 |
★C2~C3:C3泊
ショートスキーもここまでやって来た! |
5/16 |
★ピークアタック、スキー滑降の後、C3撤収してC2へ:C2泊
山頂に立つ! 背後はエベレスト。 |
5/17 |
★C2~C1~ABC
ピークアタック翌日、C2から滑り出す。 |
5/18~21 |
★ABC撤収
せっかく雪が降ったので、下山も意地でスキー(少しだけ)。 |
5/22 | ABC~TBC |
5/23 | TBC=(車)=ザンム |
5/24 | ザンム=(車)=カトマンズ |