ミャンマー最大の聖地に詣でる シュエダゴン・パゴダ
ヤンゴンの中心部にある大きな丘。その丘を覆うように木々に混じって立つ金色に輝く大仏塔。大仏塔へは東西南北四方から階段状の参道が伸びて、丘全体が大きな寺院になっています。参拝者はみんな麓で裸足になって山頂を目指します。最初は少し抵抗あるかもしれませんが、慣れてくると裸足も意外と気持ちいいものです(陽射しの強い日は足元も熱いのと、雨で濡れると滑りやすいのでご注意下さい)。エレベーターのある登り口もあります。山頂は広い境内になっていて、東京ドーム1個分くらいの広さはあるでしょうか、そこに遠方から見えていた高さ100mの大仏塔を中心に大小約60の仏塔や廟が林立しています。
このパゴダは、2500年前にインドで直接ブッダから聖髪をもらい受けた兄弟が奉納したのが始まりと言いますから、仏教と同じくらいの歴史があります。仏教徒ならミャンマー人ならずとも訪れたくなる聖地でしょう。
境内には、願いがかなう神様や、誕生曜日の祭壇、一度イギリス軍に奪われたが、輸送中に川に沈んで持ち出せなかったという奇跡の釣鐘、ミャンマーで慕われている聖者、賢者の像などミャンマーを深く知るための話題が満載の場所でもあります。
昼は観光客でにぎわいますが、夜も涼しい時間を狙って参拝に来る地元の人たちでにぎわっています。ライトアップされた黄金の塔もミャンマーならではの風景です。
さすが聖地だけに願掛けポイントがいっぱい
夜のシュエダゴン・パゴダも雰囲気があってお勧めです
歴史を感じる鉄道に乗ってみる
ミャンマーに鉄道が敷かれたのは1877年、イギリス治世下での出来事で、すでに敷設が進んでいたインドの鉄道を持ってきたと言います。しかし、大戦後は日本軍が敷設した泰緬鉄道を取り外して使ったりするなどした鉄道は、メンテナンス不足も加わって老朽化が目立っており、ヤンゴンの周囲をめぐる環状線の列車もかなりの年代物にお目にかかることになります。
中央駅はミャンマーの伝統様式も取り入れています
なかなかの年期ものでも庶民の足として現役で活躍中
日本と違う仏像感にふれる
やさしいお顔の寝釈迦仏が祀られているチャウッタヂーパゴダ。仏様とはわかりつつも日本には見かけない「なめらかな質感」「巨大さ」「ヴィヴィッドな色使い」に圧倒されてしまいます。ここでミャンマーに来たことを実感する人も覆いのではないでしょうか?それとともにミャンマーの人の敬虔な信仰の心にも触れることが出来ます。
微笑んでるようにも、にらまれてるようにも見えます
寝釈迦の足の裏にはマンダラが丁寧に刻まれています
偉大な名を冠したマーケットを彷徨う
ボーヂョーアウンサンマーケットは、ミャンマー独立の英雄(スーチーさんの父)の名を冠した市場。イギリス統治下ではスコットマーケットと呼ばれていました。ヤンゴンの中心部に位置し、町のランドマークであるスーレーパゴダや鉄道の中央駅からも徒歩圏。外観はイギリス植民地時代(1926年)築の建物ゆえ、古めかしいですが、中は生活雑貨、衣類、お土産物、宝石などを中心に扱っていて、ミャンマー人にも外国人にも人気です。
この中には掘り出し物も!?
最近はアウンサンスーチー女史関連グッズも人気
外観はやはり歴史を感じます
ツーリスト向けのお土産も多く売られています
ヤンゴン発祥地・ヤンゴン港を訪れる
18世紀までヤンゴンは小さな漁村でした。その付近では、タニン(今のヤンゴンの南東)という町が貿易で繁栄しており、ポルトガル商人なども往来していました。1755年コンバウン王朝の始祖アラウンパヤー王がその漁村をヤンゴンと改名し入植が始まりました。その後、3回に及ぶ英緬戦争で勝利したイギリスがヤンゴン港を中心に町を開発、植民地支配の拠点となりました。今もその港周辺に残る古い建築物に当時が偲ばれます。
港のそばに立つ植民地時代の税関
ヤンゴンは河口に近く川とはいえ海の風情が漂う
ミャンマーは古くから様々な国の影響を受けています。インドからは仏教が伝わりましたし、中国からは元の時代にフビライ軍が到達しています。大航海時代になるとポルトガルそしてイギリスが侵入してきました。植民地時代にはグルカ兵としてネパール人も送り込まれています。今も多民族国家ですが、それぞれの食文化が楽しめるのもここヤンゴンの魅力でしょう。
ミャンマーの入口ヤンゴン、ツアーで訪れる時間は限られていますが、もし興味のある方は、延泊して好きなところを巡ってみるときっと楽しいですよ。