今、トルクメニスタンが『熱い』3つのわけ


40年以上燃え続けるガスクレーター「地獄の門」


トルクメニスタンは国土の大半をカラクム砂漠という砂漠に覆われた大陸性砂漠気候の地。夏には60度までなることがあるくらい「熱い」国ですが、熱いのはそれだけではありません。

1.門戸を開き始めた独裁国家に熱視線

1991年ソ連から独立。以来「永世中立国」を宣言してロシアと距離を置いた独自路線を歩む一方、初代大統領の金ピカの像が街中に建てられたことなどから「中央アジアの北朝鮮」とも呼ばれていました。2007年第2代大統領に代わって以降、映画やインターネットを解禁するなど開放政策も取り込みながら、豊富な天然資源を元手にした潤沢な国家収入は国民に還元され、治安も安定しています。近年、観光にも力を入れ始めました。テレビで取り上げられることも多くなり、以前にもましてビジネスやツーリストの注目が集まっています。


永世中立記念塔。頂上にある初代大統領の金ピカ像はかつては太陽の動きに合わせて360度回転していました(アシガバット)


2.トルクメニスタンでは大地が燃えています

その1つが「地獄の門」(冒頭の写真)。40年前天然ガス探索中の落盤があり、直径約70m、深さ約30mの大きなクレーターが現出。噴出するメタンガスを処理するために火をつけたところ、40年経った今も燃え続けているという。訪れるなら夜。炎のクレーターが闇の中で神々しい風景を作り出しています。暗闇の中で燃え続ける巨大な炎を見ていると、ここがゾロアスター教(拝火教)の発祥の地(※諸説あり)だったことも頷けます。

もう1つはトルクメニスタンの西部、カスピ海に近い荒野の中にあります。それが太古のカスピ海が後退してできたヤンギカラ大峡谷。実際に火があるわけではありません。赤、オレンジ系の土が積み重なる地層が、燃えているように見えることから「火色の城砦=ヤンギカラ」と呼ばれています。かつて海底に堆積した地層が長い時間風雨にさらされて、奇跡の景観を作り出したのです。


火色の城砦を意味する奇観ヤンギカラ


3.シルクロードの歴史ロマンに萌(も)え~

アレクサンドロス大王、パルティア帝国(安息国)、アケメネス朝ペルシャ、セレウコス朝シリア、ササン朝ペルシャ、セルジューク朝トルコなどなどトルクメニスタンの歴史を紐解くと、シルクロード史上、目にしたことのある国の名前がたくさん出てきます。交易の拠点として古くから争奪の地の1つだったのでしょう。

現在トルクメニスタンには3つの世界遺産があります。
1つめがニサ。インド産の象牙で作ったリュトン(角杯)やニサのビーナスの像などが発掘され、紀元前3世紀~紀元後2世紀に繁栄したパルティア帝国の最初の都だったと推定されています。


ニサ遺跡で見付かったインド産の象牙のリュトン(角杯)


続いてメルヴ。紀元前6~4世紀のアケメネス朝ペルシャ時代から12世紀のセルジューク朝トルコ時代まで約2000年に渡って繁栄したオアシス都市です。仏教遺跡の最西漸の地としても有名です。13世紀モンゴル帝国軍の侵攻で100万人が皆殺しにされたと言われています。


モンゴル軍の侵攻にも耐え残ったメルヴ遺跡に残るスルタン・サンジャール廟



セルジューク朝の王が奴隷の娘たちを侍らせたというキズカラ「乙女の城」(メルヴ遺跡)


3つ目がクフナ・ウルゲンチ。12~13世紀ホラズムシャーの都として最も繁栄しました。チンギスハーン率いるモンゴル帝国軍に殲滅されるも復活。しかし、その後アムダリア川の流れが変わってことで再度街は衰退しました。


天井に365の星があしらわれているトレベク・ハヌム廟(クフナ・ウルゲンチ)


土に還りかけた古い日干しレンガの建物は想像力を要しますが、数多くの民族、王、宗教の栄枯盛衰を紡いで来た歴史が、この国の魅力の火を灯し続けています。