第243回 アイラグ ~馬乳酒~

馬乳しぼり片膝をたててバケツを置く独特の馬乳しぼりスタイル

 
 いよいよモンゴルへの旅が近づいてきた。そこで今回は木村肥佐生氏(以下、敬称略で木村)の『チベット潜行十年』を題材として戦前のモンゴル医療事情を考察してみたい。木村は1922年(大正11年)に長崎県佐世保に生まれた(1989年逝去)。昭和14年にモンゴルに渡りモンゴル語を修得する。昭和18年から日本軍の命を受けチベット地域の調査のためにモンゴル人巡礼者ダワ・サンポの偽名を用いて潜行。日本の敗戦をチベットのラサで知ることになる。本書は昭和25年に日本に帰国するまでの12年間にわたるモンゴルとチベットに関わる詳細な記録であるが、次の記述に注目していただきたい。


 
{場所はモンゴル。チベットへ向けて旅立つ準備において}

『薬は宣撫工作用の各種薬品、錠剤をくだいて粉末にし、外国薬をきらう蒙古人の疑惑を招かぬため、鍋ズミ、木皮、草の汁などをまぜて色とにおいをつけ、漢方薬らしく用意し、種類別に小さな皮袋につめた。(P25)』


 

1940年の時点において、モンゴルでは西洋薬よりも伝統薬に対する評価が高かったことがわかる。ただしこの記述だけでは「モンゴル人は外国薬を頭ごなしに拒絶する保守的な民族」として誤解を招きかねないので、78年後、つまり現代の視点から冷静に分析してみたい。まず具体的に外国薬とは何かを調べてみた。当時の日本軍が所有していた主な薬としてコデイン錠(咳止め、鎮痛)、ジキタリス錠(強心剤)、ヨードカリウム錠(殺菌剤)、アクリノール絆創膏、アトロピン液(鎮痛、麻酔)、ビタミンB1錠などが挙げられる。

コデイン錠は現在、副作用が少ないリン酸ジヒドロコデインとして進化し、多くの咳止め薬に他の成分と一緒に配合されている。しかしコデイン単独では副作用ばかりで有効性が期待できないことから現在は単独で使われない。咳止めなら麻黄(第5話)の方が穏やかに確実に効果を発揮するだろう。ジギタリス錠(注)は心臓が弱ったときや浮腫みの症状に用いる。しかし投与量コントロールが非常に難しいため、現在は医療用のみで市販されていない。アトロピンは朝鮮アサガオの種子に含まれる麻酔成分だが、チベットでは古くから麻酔薬として用いられ、おそらくモンゴルでも用いられたと思われる(伝統医学のそよ風を参照)。つまり外国薬の専売特許ではない。


 
水がわりに飲む
夏は水がわりにガブガブ飲む


 

ビタミンB1は脚気の薬。日清、日露戦争で日本軍は脚気に悩まされ、その原因究明が最重要課題であった。結果、鈴木梅太郎によってビタミンB1が1910年に発見された。いっぽうモンゴルではそもそも脚気があまり問題とならない。モンゴル人の食生活には欠かせない馬乳、また馬乳を発酵させた馬乳酒アイラグにはビタミンB1が豊富に含まれているからではと推察されるが、この点についてはアイラグを飲みながら現地で調査してきたい。ヨードカリウム錠、アクリノール絆創膏は現在ではあまり使われない。15年後に登場する抗生物質ペニシリン、ストレプトマイシンがあれば話は別だが、このレベルの殺菌剤であれば重曹や塩を用いた民間療法と大差はないだろう。事実、それがわかる記述がある。


 
子供も馬乳酒を飲む
草原では子供も馬乳酒を飲む


 

『ラクダの柔らかい足の裏が摩滅して薄桃色になっている箇所を、塩とソーダを入れたお茶で洗う。(P45)』


皮膚が腐敗したことで発生する酸性の物質をアルカリの重曹で中和し、さらに塩の浸透圧と茶の渋味タンニンによる、それぞれ特徴の異なる殺菌力を三種類ブレンドしている点はきわめて効果的な治療法である。

木村が携行していた外国薬(西洋薬)つまり「天然物から有効成分を分離した分子レベルの薬」は19世紀後半から開発がはじまり150年後の現代日本でこそ、その成果を過剰なほどに享受できるが、1940年の日本の薬学レベルでは、(例外はあるけれど)まだまだ生みの親である天然物・薬草の総合力を越えていなかった。また、そもそも外国薬は戦地での救急治療を前提として開発された経緯があるため日常生活には不向きともいえる。したがって当時のモンゴル人が盲目的に外国薬を拒絶していたわけではなく、ある程度の実体験をもって「外国薬は危ない。民間療法、伝統医学で大丈夫」と感覚的に気が付いていたのではと推論づけられる。

今回は失礼と承知の上でモンゴル側を弁護させていただいた。しかしこれは現代2018年ゆえの「後だしジャンケン」的な見解であり、僕も木村と同じ時代に日本に生きていれば、同じように西洋薬が優位であると考えただろう。それよりも、モンゴル人が西洋薬を嫌悪するという風習や民間医療について驚くほど正確に記述している木村の能力にこそ注目してほしい。木村の生まれ持った素養だったのか、それとも特務機関によって医薬の情報も調査すべく教え込まれたのか、はたまた、生き延びるために必然的に医薬の知識を身につけたのであろうか。ご存命の内にお会いできれば確かめることができたであろうと木村肥佐生先生に思いを馳せているところである。是非、原書を読んでいただきたい。


 


18世紀の中頃、イギリスのシュロップシャー州に住む老婆ミセス・ハットンが各種の植物を混合して、様々な疾患を治療していた。特に、水腫によく効く秘伝の薬を持っており、一般の医師が治療できなかった患者にもよく効くと評判をとっていた。この老婆の使用していた薬(草)より強心薬ジギトキシンが発見された。老婆が用いてた薬草はジギタリス、和名はキツネノテブクロ(ゴマノハグサ科)である。


 

参考文献
・『チベット潜行十年』(木村肥佐生 中公文庫 1982)
・「『チベット潜行十年』(木村肥佐生)から読み解く1959年以前のチベット医療」チベット文化研究会報No.161(小川康 2017)
・『くすりの発明・発見史』(岡部進 南山堂 2007)
・『モンゴルの伝統的アルコール発酵乳アイラグに関する微生物学的研究』(宮本拓 岡山大学農学部 2015)


 
参考サイト
北多摩薬剤師会おくすり博物館 軍隊と薬、局方



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