葉っぱの上に咲く小さな花を見つけた。「それはね、ここではママコグサって呼んでいるの。むかしは継子が憎くて、手の上にお灸をすえたからよ」と古老が教えてくれた。継子、つまり血のつながっていない子どものことである。そんな生々しい名前は、なぜだろう、正式な植物名ハナイカダよりも心に響いてしまう。次に黄色い小さい花をつけた木を見つけた。「あれはね、コウジバナって私たちは呼んでいたわ。ほら、花が麹に似ているでしょう」。丁寧に教えられても残念ながら麹を身近に感じない僕らの世代にはピンとこない。こちらはダンコウバイ(壇香梅)という学名のほうがしっくりきてしまう。そして僕が足元に咲く黄色い花を手にしたとき、別の古老が思わぬ発言をしてくれた。「その草から出る黄色い液を足の裏に塗ると「駆けっこが速くなる」っていわれていて、小さい頃、よく塗ったものでした」(注1)。
「どうでした? 塗った子どもが駆けっこでは勝ちましたか?」という僕の問いに「そうねえ、よく覚えていないわ」と振り返ってくれた。「では、こんど桐生選手の足の裏に塗ってもらって10秒台の壁を破ってもらいましょうよ」と僕はすっかり調子に乗った発言をして場を盛り上げた。「ところで、当時、この草のことを何と呼んでいましたか」と訊くと「名前なんてなかったわ」という期待通りの答えが返ってきて嬉しくなった。そう、名前なんてなくてもいい。僕だったらカケッコグサ(駆けっこ草)とでも名付けていたかもしれないな。紹介が遅れたが、これは昨年、東秩父村で開催された風カルチャークラブ「森のくすり塾」における一コマ。解説してくれているのは地元の「野草に親しむ会」の方々。季節は4月。ハナモモが満開だった。
60年以上も昔、名もなき野草と子どもたちとの触れ合い。たいした見返りも求めずに野草と対等な目線で生きていた時代。そこには東洋だ西洋だという分類はない。難しい学名や大それた効果効能も存在しない。そして「この草の黄色い液を足の裏に塗ったら足が速くなるのではないか」。こんな無邪気な発想が薬の“はじまり”だと僕は思う。どんな薬であれ最初は必ず、誰かがお遊びで口にしたはずだ。そんな無数の好奇心のなかから選りすぐられて“薬”が生まれてくる(注2)。たとえばバファリンが3000年前の白い柳の皮とつながり、喘息薬のエフェドリンは中国の麻黄に、消化性潰瘍薬のグリチルリチンは甘草の根っこへ、抗生物質は土やカビへとつながっているように。薬草だけでなく薬局で処方される無粋な白い薬のなかにも、ふんわりとしてあたたかい知恵の源泉をほのかに感じてほしい。
生い茂る葉っぱから枝へ、細かな枝か太い幹へ、そして根っこへと遡っていく感覚だ。そこには境界があいまいで、固有名詞はなく、ふんわりとして、あたたかく、それでいてひと固まりの知恵がある。それは薬の知恵の源泉とでもいおうか。その源泉(チベット語でジュンクン)は東秩父村など日本の農村に住む年配の方々の記憶のなかに(かろうじて)残されている。そしてチベットにはその源泉が比較的豊かに湧き出ている。だから僕はチベットに憧れたのだ。
ちなみに「駆けっこ草」、現代植物名においてクサノオウは1㎝ほどの黄色い花を咲かせ、茎を折ると毒々しい黄色い液を出す。それまでの薬草散策では「クサノオウという毒草なので、注意してくださいね」という表面を撫でたような解説で終わることが多かった。水虫に効果があるという知識は書籍で知ったに過ぎない。でも、現代において実際に水虫に用いる人はいないし僕も(おかげさまで)使ったことはない。使ったこともないのに、それらしく語ることの気持ち悪さを僕はずっと抱えていた。地に足がついていないとでもいおうか。どんな些細なことでもいい。足元の経験に置き換えて少しずつ他者に伝えることばを育てていきたいと思っていた。そしていま、東秩父村でやっとその言葉が見つかった。
今度の4月、黄色い汁を足の裏に塗って駆けっこしませんか?
注1
正確には東秩父村ではなく、山を越えた隣の秩父地方の風習だそうである。
注2
小さい子どもたちの草野球が高校野球を経て大リーグへとつながっているように。または子どもが口ずさむ歌や楽器遊びが吹奏楽部を経て一流のオーケストラにつながっていることと同じように。
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