第165回 テムデル ~夫婦道祖神~

修那羅(注1)の峠を越えて向う側の村々が見えたとき、啓示をうけたがごとく不思議と心が軽くなった(第158話)。そうしてしばらく放心したまま峠の向こう側の村々を眺める。あの村々がまるで別世界のように見えたのはなぜだろう。そのとき放たれた僕の心は思いもかけず、別世界の住人にしっかりと届いていたようだ。1ヶ月後、峠の向う側、第158話を読んだ筑北村の職員から「ぜひ、修那羅で薬草のイベントをやりましょう」とメールが届いたのだから。

そもそもの縁は20年前、ある雑誌で見かけた夫婦道祖神の石仏にすっかり心を惹かれてしまったときまでさかのぼる。男女が手を取り合い微笑んでいる姿からは「みんな仲良くしようよ」という明確なメッセージが伝わってきた。信州の薬草会社に就職すると、はじめてのボーナスで木彫りの道祖神を購入した。人生初の本格的な美術品購入である。そしてその年の年賀状には自分で彫った夫婦道祖神の版画を印刷した。さらに、道祖神の石仏群で有名な修那羅峠まで(当時の住所からは2時間もかかったが)お参りに出かけるほどに、すっかり道祖神に入れ込んでいたのである。

そんなある日、会社から「取引先の生協で案山子コンクールがあるので出展したい。小川君、作ってくれないか。ただし予算はゼロだけれど」と嬉しい難題を持ちかけられた。さっそく僕は会社の裏山を駆けめぐって材料を拾い集めると、(通常業務をそっちのけで)5日間かけて薬草道祖神を完成させた。Yの字の白樺の枝に、葛の蔓を絡ませて基本型を作り、ススキ、羅漢果、朝鮮人参、栗、アジサイ、タカノツメなどで装飾してみた。これには「薬草を介してつながろうよ。仲良くしようよ」というメッセージがこめられている。おかげさまでコンクールでは3位入賞を果たし、小学校2年生の高岡市写生大会での銀賞以来、美術部門での表彰を受けたのである。(注2)

ダラムサラへと渡ってからも、チベット仏教に反抗しつつ(第125話)隠れキリシタンのごとくメンツィカン寮の本棚に小さな道祖神を祭っていた。でも、メンツィカンを卒業後に改めてチベット仏教を振り返ってみたとき、その根幹は同じであることに気がつかされた。それは「支え合い、つながる」ということ。高尚な言葉では縁起、チベット語ではテムデルという。すべてはそれ自体では存在せず、互いに依存しあっているとする。というと難しいが、つまりは、みんな手を取り合って仲良くしようよ。ひとりでは生きられないよね、ということだ。こう軽々しく解釈すると仏教学者さんからお叱りを受けそうだが、いま教育学を学ぶ自分にはこの解釈がいちばんぴったりくる。事実、チベット人たちは難民という不安定な境遇だからこそ互いに助け合う。困っている人に、さっと手を差し出す反応があきらかに日本人よりも早く躊躇いがない。社会の無意識レベルにまで浸透したチベット仏教の教義「支え合い、つながる」を実感するまでに、10年近くも要してしまったようだ。

そして、この3月、別所温泉に引っ越して一段落すると、妻と一緒に20年ぶりに修那羅峠へと出かけた。修那羅峠には細い山道に沿って、夫婦道祖神を主として900体近い石仏がずらりと並んでいる。

修験者である修那羅大天武が江戸末期にこの地で信仰を集め、民衆が石仏を彫り奉納したことに由来している。農民たちの荒削りで愚直な表現だからこそ心に響いてくることがある。千手観音、酒天童子、馬頭観音、薬師如来、神農、猫神……。雑多という表現がピッタリなほど様々な石仏が並んでいる。妻は「まるでオム・マニ・ペメ・フムの石彫りが並ぶダラムサラの巡礼道のようだね」と感激した。確かにそういわれればツクラカンの巡礼道と似ている。

チベットだけでなく、そもそも日本でも薬は信仰とともにあった。修験者たちが山で薬草を採取し薬を作り、各地で薬を配り、病を癒していったという。たとえば富山の配置薬の起源は立山の修験道に、奈良の陀羅尼助は大峯山信仰、長野の百草丸は御岳信仰によって普及した歴史がある(第117話)。そして、ここ修那羅が、薬と信仰の関係を思い出す切っ掛けになったら素敵だなと思っている。

でも、あんまり難しいことを考えないで、とりあえず修那羅の峠から筑北の村々を眺めてみませんか。心を放ったら、少しだけ軽くなるかもしれませんよ。10月10日、峠でお待ちしています。

注1
地元の人は「しゅなら」ではなく「しょなら」と呼ぶ。

注2
ちなみに優勝は当時の大ヒットドラマにちなんだ「ロングバケーション案山子」。正直なところ3位は悔しかった。

参考
道祖神とは
村里の入口で、外から襲う悪霊を防ぐ、境の神・道の神。また後に、旅行安全・縁結び・子授け・安産の神として広く信仰され、子どもと親しい神。
近世、自然石・陰陽石・石塔などの形で、村境・辻・峠などに祭られる。
【日本語大辞典 講談社】より

参考
修那羅峠石仏群(筑北村公式ホームページ)


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