添乗ツアー名 ● 亜熱帯の森から氷河展望へ ランタン・トレッキング 9日間
2014年12月27日~2015年1月4日
文・写真 ● 川上 哲朗(東京本社)
“Once is not enough”
これは古い恋愛小説のタイトルだそうですが、同じ言葉がネパールの観光キャッチフレーズとなっているのをご存知でしょうか(意訳は『きっと一度では満足できない』でどうでしょう)。
確かに、謎の感染症・ネパール病に取り憑かれたかのように、何度も彼の国へ赴いてしまう人が多いのは事実。今回は中国チベットとの国境付近に位置する「ランタン谷」と呼ばれるエリアのトレッキングツアーに同行させていただきましたが、私自身、益々この国の魅力に惹かれてしまい、帰国してからひと月経っても心はネパールにある気がします(ちゃんと仕事しろ!というツッコミはなしで)。一度ならず何度行っても満足できない“不思議の国”ネパールと、心を奪われるほど素晴らしかったランタンエリアの魅力をご報告します。
登山口までのアクセスと温泉
登山口までのバス
数あるネパールのトレッキングコースですが、人気エリアは大きく分けて「エベレスト」「アンナプルナ」そして「ランタン」の3つに分類できます。エベレスト方面やアンナプルナ方面の登山口までは国内線で移動するのが普通ですが、ランタンエリアは登山口の集落まで車で移動するため、フライトの遅延や欠航を心配することがありません。そのため、比較的順調に日程をこなしやすいという点が魅力です。
朝、宿泊していた「風ダルバール・カマルポカリ」へ迎えにきたのは、タイヤが大きなインドTATA製のバスでした。カトマンズからはいくつかの峠や山村を越えて行き、一部未舗装の箇所も走行しますので、悪路に強いこのタイプの車を利用するようです。途中、昼食やトイレ休憩、TIMS(Trekkers’ Information Management System)のチェックポイントなどを経て、無事、明るいうちに登山口となるシャブルへ到着しました。
車道からヒマラヤが見えた!
昼食を食べたトリスリにて
途中、合流したポーター達
ぎゅうぎゅう詰めの露天風呂
集落の中を流れるボテコシ川には透明な温泉が湧いており、早速、何人かのお客様を誘って入浴へ向かいました。浴槽は4畳半くらいのとても浅いシロモノで、周囲が暗くなりお湯に浸かる人が少なくなる度、水位が下がって寒い思いをする事になるのでした。そんな一度入るとなかなか出られないお風呂ではありましたが、地元のネパリ達に即席ネパール語教室を開催してもらったり、尼さんと混浴したり(!)、ゆっくりとヒマラヤの出で湯を楽しむことができました。
※温泉の利用は無料ですが、水着や下着の着用が必要です。脱衣場やシャワーはありません。
亜熱帯の森から氷河地形へ
歩き始めの風景
トレッキング1日目
温泉で移動の疲れを癒やした翌日、いよいよトレッキングがスタート。シャブルからボテコシ川を渡り、登山道はランタンコーラと呼ばれる支流沿いに伸びていきます。歩き始めは1,500m前後の亜熱帯の森ですので、氷河をいただくヒマラヤの展望などはなく、ある意味淡々と歩みを進めるしかありません。しかし、樹林帯にはハヌマンラングールと呼ばれる猿が沢山棲息しており、大きな灰色の姿を探しながら歩くのは楽しいものでした。
また、植物に注目してみるのもお勧めです。ロッジの近くに植えられたバナナやミカンの木を見ていると、日本の奄美大島と同じくらいの緯度だということが思い出されます。東北で山菜として食べられるイラクサ(アイコ)も、そこかしこに生えているのを発見しました。見かけは日本のイラクサよりトゲトゲしいものの、やはりネパールでも茹でたりして食べるそうです。
※イラクサは素手で触るとイライラするほど痛痒いので、直接触らないように注意が必要です。
シャブルから川を渡った対岸の集落
触ると怖いイラクサ
ロッジで見つけました。実はレアかもしれません。
ここにも露天風呂が!(入っていません)
トレッキング2日目
やがて登山道は樹林帯から抜け、氷河地形である広いU字谷を歩くようになります。この辺りは、ヒマラヤを越えてやってきたチベット系の民族が多く暮らしている地域であり、現在でもヤクの放牧など昔ながらの生活を垣間見ることができます。ヤクは昔から荷役や乳製品作り、また食肉のためにも使われてきました。ランタンはヤクの乳製品(正確にはヤクの雌は“ナク”といいますが)でも有名であり、今回も美味しいチーズを楽しむことができました。季節によってはヨーグルトも味わうことができるそうです。
ヒマラヤの懐へ向かう
ヒマラヤ襞が美しいガンチェンポ
トレッキング3日目
ランタンの魅力を説明する際、一番の頻出ワードは「山が近い」でしょう。それが実感できるのが、ランタン村からキャンジンゴンパにかけての道中。左手にランタンリルンが、右手にはナヤカンが、そして正面にはガンチェンポが、いずれも圧倒的な迫力を持って迫ります。動物が生きていける限界を超えた領域であるヒマラヤに対峙し、その懐へ向かって歩くこと。これは神々の座に近づく事と同義なのかもしれません。チベットからやって来た古の旅人も同じことを考えたのでしょうか。この辺りには、メンダンやストゥーパと呼ばれる経文を記した塚や仏塔が立ち並んでいました。
お経が書いてあるマニ石
ヒマラヤに囲まれながら歩く
この時期は荒涼としているランタン村
登頂時には雪が降ってきました
トレッキング4日目
今回のツアーの最終目的は、ランタン谷最奥の集落・キャンジンゴンパの裏手に位置する「キャンジンリ(4,550 m)」への登頂。登山道自体はよく歩かれており、特に問題となる難所はありません。ただし標高が高いため、深呼吸を繰り返しながらゆっくりゆっくり登っていくことになります。何度かの休憩を繰り返し、やがて見えてきたのは、タルチョ(祈りの旗)がはためく岩稜の山頂。眼下にはランタン氷河やキムシュン氷河が広がり、周りは見渡す限りヒマラヤの大展望・・・のはずでしたが、今回は山頂手前で雪が降り出してしまい、残念ながら眺望はほとんどゼロ。それでも、ピークに登頂したことは達成感があるもので、下山後のロッジでは、お世話になったスタッフ達と日・ネパ歌合戦で盛り上がりました。明くる日は朝イチのヘリコプターでカトマンズへ戻る予定。貸切のロッジで散々騒いだ後は、久しぶりの温かいシャワーや宴会料理を夢見つつ、眠りに落ちていったのでした。
荒天そして『転』
トレッキング5日目
翌朝、吹雪。一晩で1m以上の積雪。これは現地でも20年ぶりくらいの大雪だということで、山の方からヤクの親子まで避難してくる始末。ロッジのおじさんは「お祈りをしたから大丈夫!」と励ましてくれましたが、この天気では明らかにヘリコプターは飛びません。予備日を設定していたため、「こんな所でゆっくり出来るなんて幸せ。明日はきっと晴れるから大丈夫!」などとポジティブな意見も飛び交いましたが、やはり皆さん内心しんみりした様子で、ストーブの周りでうつらうつらしていました。
状況の変化は突然やって来るものです。なんと午後になって「飛べるかもしれない」との無線連絡が!(おじさんのお祈り恐るべし!) いざこうなると人間とは勝手なもので、さっきまでの寝正月ムードは一変、高所とは思えない身のこなしで支度を始め、総出で雪に埋もれたヘリポートを発掘。ものの30分程度でカトマンズへ戻る体制を見事に完成させたのでありました。
高所でのダンス大会も開催(控えめに)
ヤクに顔を背けられる私
大雪の中ヘリが到着!
カトマンズにて服装が場違いな面々
やがて到着したのは、2005年にエベレスト山頂に着陸した記録を持つというヘリコプター。この気象条件の中、カトマンズから迎えにきてくれたのは、パイロットの腕はもちろん、山岳用途に特化した機材だという理由もあったのでしょう。我々としては、運が良かったとしか言いようがありません(ちなみに、翌日も吹雪だったそうです)。
ところで、もし旅行に起承転結があるとしたら、今回はこの瞬間が『転』であったと感じます。カトマンズからはるばる5日かけて移動してきたルートが、ヘリだと僅か20分。このジェットラグにより、私は心をランタンに置き忘れてきてしまったのかもしれません。そう考えてしまうほど、あまりに早すぎる脱出劇でした。
旅を振り返って
ランタンエリアの魅力ですが、前述した「ヒマラヤが近い」という点のほか、他のエリアと比べ「静か」という事も挙げられます。今回は日本人旅行者も多い年末年始のツアーでしたが、我々以外にグループは見かけず、個人トレッカーも時折見かける程度でした。しかし、あらためて今回のツアーを振り返ると、思い出されるのはむしろ道中で出会った数少ない人々の顔だったりします。チベットの衣装でヤクの乾燥肉を作るお婆さん、過度に外国人慣れしていない子どもたち、我々のためにわざわざお祈りまでしてくれたロッジのおじさん、そして情報を共有して助け合った他のトレッカー達―。発展著しいエベレスト街道などと比べると、ロッジやインフラ設備は簡素ではありますが、不便だからこそ、人が少ないからこそ、人情味が溢れる旅を楽しめたのではないでしょうか。
冒頭で“Once is not enough”をご紹介いたしましたが、実は、今回参加されたお客様のうち3分の2がネパールリピーターでした。皆様も、謎の感染症・ネパール病にはくれぐれもお気をつけ下さい。