*風のメルマガ「つむじかぜ」678号より転載
米朝首脳会談がいよいよ来週開かれる。韓国ではもちろんだが、在日朝鮮人の人々の間でも、特別な感慨と大きな期待感を抱かれている人々が多かろう。
朝鮮半島の分断が固定化したのは次のような経緯だ。日本がポツダム宣言を受諾する前の1945年8月9日にソ連が対日戦に参戦し、朝鮮半島北部へ侵攻。結果、米国とソ連が北緯38度線を境に朝鮮半島を南北に分割占領する形となり、48年に南に大韓民国、北に朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)が成立された。その後、50年に勃発した朝鮮戦争を経て分断が固定化した。
朝鮮半島北部がソ連に侵攻・統治され北朝鮮が成立したように、もしも北海道がソ連の侵攻をうけ占領されていたら日本も分断されていたに違いない。「占守島の戦い」のことを知ると、背筋がゾッとする。
先日、韓国の手配でお世話になっている朴さんがいらして、私と弊社スタッフたち数人で食事をした。この米朝会談についても聞いてみたが、前朴槿恵政権への批判が強かった分、期待感はかなり大きいそうだ。
同席した弊社の在日韓国人スタッフからは、理想国家と称された夢の生活に憧れ、日本から北朝鮮へ渡っていった親戚の話や、後に万景峰号でその親戚を訪ねた時のことなどを聞いた。なんでも自分の家は祖父が商売をしていたので移住しなかったが、他の親戚はそれっきり日本や韓国に戻ることは出来ていないそうだ。
正式名称は「朝鮮民主主義人民共和国在日朝鮮人の帰還事業」。1959年の最初の帰国から1984年まで続いている。日本赤十字社(日赤)と朝鮮赤十字会(朝赤)の日朝両国の赤十字社によって実務が担われ、日本の政党も自民党、社会党、共産党などが超党派で協力して帰還を後押ししている。
マスコミも実に好意的な報道で、60年1月9日付読売新聞では「北朝鮮へ帰った日本人妻たち『夢のような正月』ほんとうに来てよかった」と報じ、60年2月26日付朝日新聞には次のように記されている。
「帰還希望者が増えたのはなんといっても『完全就職、生活保障』と伝えられた北朝鮮の魅力らしい。各地の在日朝鮮人の多くは帰還実施まで、将来に希望の少ない日本の生活に愛想を尽かしながらも、二度と戻れぬ日本を去って“未知の故国”へ渡るフンギリをつけかねていたらしい。ところが、第一船で帰った人たちに対する歓迎振りや、完備した受け入れ態勢、目覚しい復興振り、などが報道され、さらに『明るい毎日の生活』を伝える帰還者たちの手紙が届いたため、帰還へ踏み切ったようだ」
(以上、参考資料はウィキペディア)
移住した人たちも日本社会全体も、何も真実は解らなかったとしか言いようがない。歴史は時々こうして人の運命を弄ぶから恐ろしい。帰還事業の結果は、周知のように悲惨なものだった。
会談で、雪解けのようにすべて解決するわけではなかろうが、歴史に翻弄されてきた人たちが一刻も早く笑顔になるような歴史的なエポックになることを望みたい。そして東アジアと世界の安定・平和を祈りたい。
★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。