醜い大人たち

*風のメルマガ「つむじかぜ」676号より転載

しばらく前まで中野の書店ブックファーストには、『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎著)の文庫本と単行本、そして漫画版とが、かなりのスペースを使って並んでいた。この本は、全国の中学・高校の教師が生徒へ最も薦めたい本を決める「第4回 君に贈る本(キミ本)大賞」(2017年度 読売中高生新聞実施)に選ばれている。

昨年の暮れ頃から学生たちの間でも結構話題になっていたので、昨日、3年生のゼミで読書課題として出してみた。すると「心に沁みた」「私もそう思っていた」「他人のことを思いやれる人間になりたい」「人生でいつか躓いたらまた読んでみたい」そんな感想が返ってきた。実に素直である。

私が気づいた点を赤ペンで記したレポートを返却し、次いで日大のアメフト部のことを話題にしてみた。この本を読んだ学生たちが、部の指導者や大学、更には加害者になってしまった学生の記者会見をどう思うのか、是非聞いてみたいと思ったからだ。結果、やはり加害者の学生に同情的であり、且つ、醜い大人たちへの激しい拒否感を示した。

それにしても、今、醜態を晒している大人たちは、殆どが私と同世代である。日大アメフト部の内田前監督は一歳年上だ。私たちの世代は、ポスト団塊、別名「シラケ世代」ともいわれる。団塊の世代で世の中が騒然とし熱く燃え上がった後、まさに燃えカスの中、祭りの後に学生時代を過ごした。それを大学の正常化ともいう。しかし、社会へ自己主張をストレートに語る場もなくシラケるしかなかった世代ともいわれる。

度々話題になるあの官僚たちをみても、故あって志で悪役を引き受けたとも感じられない。自分の口で話しているのに、まるで他人がしゃべっているかのようにしか聞こえず、すっかり冷め切った心だけしか見えてこない。

少々気にしすぎかもしれないが、ここまで続くと私も考え込んでしまう。これが私たちの世代の特徴かと。責任のある社会的立場を担う年齢だからそうであって世代の所為ではないとは思うが、何かが足りない、何かがズレている。一体何か。じっくり考えてみたい。


★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。


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