*風のメルマガ「つむじかぜ」650号より転載
「今年は鮭の遡上が少なく、どんぐりの実りも悪いので大変なことになっているんですよ」。かつて大阪支店長をしていた寺山君が、知床のウトロ道の駅で出迎えてくれたのだが、その第一声がこれである。
知床の熊たちは、冬眠前のこの時期、大量の食べ物を求めて必死だ。例年なら、夏に比べてこの時期は、熊に遭遇する確率はぐっと下がるのだが、今年は、毎日のように熊が出没し、知床財団は大忙しである。
10月26日から、亜細亜大学の4年生9人を連れて4泊5日、寺山君にお世話になった。彼は、その間も熊対応でしばしば呼び出されていた。熊が人間の生活領域に出てきて、一旦、食べ物の味を覚えると、繰り返し出てくるようになる。こうなると、殺処分という好ましからざる事態にもなるから頭を痛めていたようだ。やはり殺すという行為は避けたいに違いない。
1914年、この地に4戸の農家が初めて入植。しかし、寒冷かつ山から吹き下ろす強風に晒され農耕地としては不向き。放牧地にして酪農をと考えたがこれもダメ。最終的には、1973年、全ての農家が離農し開拓地だけが残った。
この開拓地は、「日本列島改造論」などによる土地投機ブームの中で乱開発の危機に晒されることになったが、当時の藤谷豊町長が1977年、ナショナルトラストに学び、「知床で夢を買いませんか」のキャッチフレーズで、町が土地を買い取る費用へ寄付を全国に向けて呼びかけた。これが100㎡運動である。この呼びかけは全国で反響を呼び、1988年には運動参加者が30,000人に到達。2010年約861ヘクタールの土地を全て買い上げ保全を完了している。
この100㎡運動がなければ、知床は世界自然遺産になることはなかっただろう。森が守られ、海の生態系が豊かに保たれる。この一連の環境保全が整って初めて、知床は世界自然遺産に値する場所として今に至っているのである。
知床ほど「自然と人間の距離が近い」ところはない。それが学生の感想である。それを強烈に感じさせてくれるのが熊の存在である。熊も見たいし自然も守りたい。
果たして熊を観光資源として使っていいのか。とんでもない!という声が聞こえてきそうである。
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