スポーツの環境

*風のメルマガ「つむじかぜ」593号より転載

長男が、中学生から6年間水球をやっていたので、リオオリンピックでも水球の試合だけはビデオにとって熱心に観戦した。長男がやっていたころ、試合で何回か対戦した選手たちが、今回のオリンピックに日本の代表選手で何人か出ていたので、私が直接は知らない選手であっても、妙に親近感が沸くから不思議である。応援にも熱が入ってしまった。

しかし、試合は、ヨーロッパのチームが圧倒的な力の差を見せつけ、日本戦は、まるで子供と大人の喧嘩のようなものだった。ヨーロッパの選手たちの体の大きさ、太さを見るだけで尻込みしてしまいそうである。長男のチームも強いとは到底言えなかったので、久々に、長男の試合を応援しているような錯覚に陥ってしまった。

水球は、日本では、全く注目されないが、ヨーロッパにはプロリーグがある。米国のNBAに果敢に挑んだ田臥勇太選手のようなガッツある選手が水球界にもいて、長男の二つ上の先輩も高校卒業後ヨーロッパに挑んだ。しかし、中々結果には繋がらなかった。

日本のチームは、体力の差を補うように早いパス回しで攻めるようにしていたが、水中格闘技ともいわれる競技だけに、日本人選手の多くは相手選手に沈められてしまう。何が反則で何が反則でないのか判然としないが、傍目には、ボールを取ろうと争っているというより、ただただ沈め合っているようにしか見えない。体が激しくぶつかり合い、水中で蹴り合いながらボールを取り合っている。だから、あの体力差は決定的に映る。

それでも、いつかはラグビーのように強くなって日の目を見るときが来るのだろうか。ラグビーのように外国人選手が加入しないと難しそうだが、日本では水球では生活をしていけないのが現状だから、ラグビーとは環境が違いすぎる。

そんな中、パラリンピックが始まった。嘗てと違いかなり注目度は上がってきたが、私には、大きな祭の後の余興のように映る。何故、一緒の期間にやらないのか。陸上競技場は、オリンピック期間、ずっと使っているわけでない。プールだってそうだ。一緒の期間にやれば、もっと観客も増えるに違いない。開会式、閉会式こそ、一緒にやればいい。

運営上の問題かもしれないが、国連での決定を背景に、障害者差別解消法が日本でもこの4月から施行された。一般のツアーに障碍者が参加されることを正当な理由なくして断ることは許されなくなった。なのに、どうもこのオリンピックのやり方は違和感を感じる。どう考えても一緒にやるべきだと思うがいかがだろうか。

さて、2020年の東京オリンピックに水球の日本チームは果たして出られるだろうか。出たら、必ず見に行こうと思う。切符は、きっと簡単に手に入るだろう。今から楽しみである。


★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。


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