韓国視察

つむじかぜ509号より


今週、一泊二日で韓国へ行って来た。訪れたのは、あの江華島事件の舞台となった江華島である。1875年9月に日本の軍艦がここにやってきて朝鮮軍と武力衝突となり、翌年、日朝修好条規(江華島条約)締結に繋がっていく。日本に黒船が来て開国を迫られたのと同じように、日本が鎖国をしていた朝鮮に開国を迫ったいわば韓国の“浦賀”というわけである。

島の北端にある江華平和展望台へ行くと、わずか2kmほどの海峡を挟んで北朝鮮を臨むことができる。望遠鏡の向こうに見える北朝鮮の平野は、なんと、韓半島で二番目に広い平野だそうで、北朝鮮の穀物の1/3がここで生産されるという。

第二次世界大戦が終わり、朝鮮半島は、北はソ連、南は米国によって統治され、その国境は38度線となったが、朝鮮戦争によって、新たに現在の南北休戦ラインが引きなおされた。この江華島は、まさにその南北休戦ラインを挟んで北朝鮮と向き合っている。

「朝鮮戦争では韓国軍は北方を、米軍が南方を守ったが、その結果、北朝鮮によってこの平野が占領されました。工業団地として有名な開城(ケソン)市もあの山の向こうです」。とこの日ボランティアで解説役をしていただいた日本人のAさんが、丁寧に説明してくださった。

「韓国の歴史の教科書では、日本の占領時代のことが1/4を占めます」そう語るガイドさんの言葉になんら政治的な意図はないのだが、それに比べて、日本人は、朝鮮のことをほとんど知らないと言っても過言ではなかろう。もっと隣人のことを知らなくてはいけない。

今回の韓国訪問は、一般社団法人日本旅行業協会(JATA)が、竹島を巡る政治問題や、二年前に始まったアベノミクスによる円安などで、日本人の訪韓数は大きく落ち込んでしまったので、その打開策として一千人の視察団を組み、私もそれに加わったというわけである。きっかけはともかく、私にとっては、新しい視点が生まれ有意義な旅になった。

現在、日本人の観光を受けていた韓国の旅行会社は倒産が相次ぎ、職を失い生活に窮した日本語ガイドたちは、伸張著しい中国人観光客に視線を移し、中国語を勉強し始めているという。このままでは、再び日本人の訪韓数が伸びてきても、対応ができなくなるのではと危惧されている。弊社では、韓国へのツアーは少ないが、なんとも悲しい現実である。

しかし、やはり円安は、海外旅行にとって大きな向かい風だ。観光中は、買い物の機会もなかったので空港でキムチと海苔を買ったが、一箱28,000ウォン、日本円で約3,400円、3箱買ったら1万円を越えた。そのせいだろう。金浦空港で、嘗ては、軒を連ねていたキムチ屋さんも殆ど見当たらず静かな空港になっていた。ウォンが余っていたので、8,000ウォンのうどんをすすり金浦空港を後にした。

★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。

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