シャンタラム

つむじかぜ501号より


『シャンタラム』とはマラーティー語で“神の平和のひと”という意味だ。3週間前に、このコーナーでご紹介したこの小説は、実は、かなり読むには骨が折れる本である。文庫本で3冊、都合約1800ページという長さもさることながら、爽やかな満足感や、共感を得るには不向きであり、むしろ、心が深く抉られ、時には嘔吐感すら感じるくらい強烈な世界に引き込まれることになるからだ。

しかも、著者のグレゴリー・デイヴィッド・ロバーツの私小説であり、加工されているとはいえ大筋は実話に近い。冒頭に、作者があらすじを語っている。そのまま掲載するので一読願いたい。

私の人生の物語は長く、込み入っている。私はヘロインの中に理想を見失った革命家であり、犯罪の中に誠実さをなくした哲学者であり、重警備の刑務所の中で魂を消滅させた詩人だ。さらに、ふたつの看視塔にはさまれた正面の壁を乗り越え、刑務所を脱獄したことで、わが国の最重要の指名手配犯にもなった。そのあとは幸運を道づれに逃げ、インドへ飛んだ。インドではボンベイ・マフィアの一員になり、銃の密売人として、密輸業者として、偽造者とした働いた。その結果、三つの大陸で投獄され、殴られ、刺され、飢えに苦しめられることになる。戦争にも行き、敵の銃に向かって走り、そして、生き残った。まわりでは仲間が次々と死んでいったが、その大半が私などよりはるかにすぐれた男たちだった。何かの過ちで人生を粉々に砕かれ、他人の憎しみや愛や無関心が生み出す運命のいたずらに、その人生を吹き飛ばされたすぐれた男たちだった。私はそんな彼らを埋葬した。多すぎるほど埋葬した。埋葬しおえると、彼らの人生と物語が失われたことを嘆き、彼らの物語を私自身の人生に加えた。

これを読んで、果たして皆さんは興味を持たれるだろうか。大方の人は、しんどそうな物語だと感じるに違いない。実際、私もそうだった。ところが、二冊目の途中くらいから止められなくなってしまった。読んでしまわないと自分の心の収まりどころがなくなった。物語はめまぐるしく展開され飽きている暇はない。ストーリーの面白さは圧巻である。

主人公のリンは、脱獄して流れ着いたムンバイで、プラバカルという気のいいインド人と出会う。彼の田舎に招かれ約半年でマラーティー語を覚える。村の人は、リンが村を去るとき『シャンタラム』という名前をつけた。その意味は、“神の平和のひと”。

しかし、その後のリンの人生は、神にも平和にも遠くむしろ間逆な世界を歩むことになる。しかし、リンは、どんなに犯罪に手を染めても、超えてはならない一線を最後まで超えなかった。彼の心は、何時までも純粋でまっすぐだ。村人たちは、半年という短い付き合いでもリンの純粋さを感じ取ったのだろう。だからシャンタラムと命名したに違いない。

面白いという表現では言い表せない物語である。読み終わると、心の底に、ずっしりと重たいものが残った。清々しさはなかったが、大きな安堵感があった。これに似た感覚が随分昔、あったように思う。『車輪の下』を読んだときだっただろうか。でも、少々違う、否、まったく違うような気もする。

一生の内にこんな本を読んでも良いのではなかろうか。そんな、一冊である。

★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。

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