筍の季節だ。掘りたての竹の子に糠を入れ煮立て、そのまま一晩置いて灰汁を抜く。鰹だしで炊いても美味しいし焼いても旨い。味噌汁にいれてもこれまた美味しい。今の時期に採れた蕨と一緒ならなおさらいい。
筍を長期保存するには、灰汁を抜いたら瓶詰めにして水を入れ湯煎をしたら熱いうちに蓋をする。雑菌が入らなければ一年ほどもつそうだ。『女たちのジハード』(篠田節子著、集英社文庫)の「250個のトマトの夜」にトマトの水煮を作る話が出てくるが、まったく同じやり方だったので妙に感心してしまった。
それにしても、普段スーパーで買う真空パックになった水煮の筍は、どうしてあんなに美味しくないのだろうか。八宝菜など、味をしっかりつける料理にしか使えない。手間もかからず安いし一年中手に入るから重宝はするが、あれが筍だと思われたら悲しくなる。
筍、椎茸、ふき、うど、大根、ごぼう、高野豆腐などの煮しめは、今でこそは大好物だが、子供のころはあまり好きではなかった。それどころか、田舎を象徴する「茶色の料理」として毛嫌いしていたくらいだ。
煮干でだしをとり、だしをとった後も煮干を取り除かないから、煮干の皮が剥がれて「茶色の料理」のあちらこちらにこびりつき、その生臭さに閉口した。
大学生になってからだったろうか。お袋に、だしをとったら煮干を取り除くようかなりまじめに進言した。何せ、味噌汁だって煮干を取り除かないから、少しさめると生臭くてたまらなかった。以来、お袋の煮物も味噌汁も、私にとっては格段に美味しくなった。
どんなに煮物が好物でも、今は、総菜屋で買って食べることはない。何度か買ったが、何でも、味が濃い上に甘すぎて美味しくなかった。漬物も同じだ。スーパーやサービスエリアなどに並ぶビニール袋に入った色とりどりの漬物は、人口甘味料のシロップに浸かったような嫌な味がする。
本物の漬物は、空気に触れれば色がすぐ変わるし、味はあっという間に落ちてしまう。だから、日持ちをさせた上に何時までも色鮮やかで保つには、それなりの添加物が必要になるのだろう。田舎の家庭で漬けた沢庵や野沢菜漬けは、いやみのないやさしい味をしている。美味しいものは、みんな淡くてやさしい味がすると最近は感じる。手前みそだが、ネパールのつきのいえ、はなのいえ、風ダルバール・カマルポカリの料理がそうだ。
夏になれば、ささげや山うどが出てくる。みょうがも大好物である。以前は、たまたま田舎に帰ったついでに買ってきていたが、もう、今年からは、わざわざ買出しに行こうと思う。今から、楽しみである。