メンツィカン(チベット医学暦法大学)には独自の校則(チベット語でディクシ)があり、チベット社会の中でも厳しいことで有名である。
たとえば、授業の際、先生より遅れて教室に入室することは御法度である。仮に遅れたら教室の入り口で腰を屈めながらドアを「コンコンコン」と叩いて待ち続けなくてはならない。ところが、先生はしばらくのあいだ故意に無視する(時に機嫌が悪いと)。すると入り口に近いところに座っている学生が、お決まりのように「ゲンラー、ゲンラー(先生)」と当事者の代わりに請願して助け舟を出す。そこでようやく先生は入室の許可を出し、学生は腰を屈めながら小走りで(歩いてはいけない)席に向かわなければならない。2002年にメンツィカンに入学し、はじめてこの慣習に出合った時に、いい意味での新鮮な感動を覚えたものだった。そして、僕もこの慣習をチベット人と同じように経験し、小走りで席に向かったとき、チベット社会の一員になれたような感触をえたとともに、東北大学時代、なんと授業時間にルーズだったことかと深く反省したのであった。
また、授業中に先生から質問されて答えられなければ「立ちんぼの刑」になり、こちらは悪い意味での新鮮な驚きであった。「座ってよし」の許可が出るまで5分ほど立ってなくてはならないのだが、チベット人は意外と小さいころから慣れているのか、それほど気にしていないようだった。しかし、30代にもなって「立ちんぼの刑」は正直、僕にとってかなりの屈辱だ。さらに、先生の虫の居所が悪いと立ちんぼのままお説教がはじまることがある。一度、僕はH先生(第85話)の説教に耐えきれずブチ切れてしまい、授業中に先生と激しい口論になったことがあった。こちらも深く反省している。都合のいい時だけ「外国人特権」を使って、チベット社会の規律を無視してしまうのはいけないことでした。
次に服装。メンツィカンの授業では学生は必ず襟付きのシャツと、ジーンズ以外のきちんとしたズボンと革靴の着用が義務付けられている。サンダルは不可。女性はチベットの民族衣装チュパを着なくてはならない。だからメンツィカン在学中、僕は日本にいる時以上にきちんとした服装を常日頃から心がけていたのである。ちなみに、日本同様、公式の場や、授業に臨むとき、高僧のお話を聞くときは、民族衣装もしくは襟付きのシャツを着て正装するのが礼儀である。
授業を欠席するときや何か要望があるときは、必ず正式な書式に則って嘆願書を作成しなくてはならない。これは一般のチベット人にとっても正しく書くのは一仕事。できるだけ謙虚に、かつ明快に、かつ教養を感じさせる文章に仕上げると評価が高くなるのだが、つまり、なにはともあれ文章力がないと先生にお願いすらできないのである。クラスを代表して大学側に嘆願書を提出するときは(たとえば補習をお願いするときなど)、一番、文章が上手な僧侶のジグメが作文を任されていたものだった。しかし、ジグメほど文章力がない僕は当時、頭が痛くて授業を休みたいのに、その痛い頭をひねって堅苦しい文章を書かねばならないという不条理を被るほかなかった。でもそのおかげで、チベット語の文章力が上がったのだけれど。
日本の大学と違い、校舎も寮も掃除は自分たちでやらなくてはいけないので、いま振り返ると、在学中はけっこう掃除に時間を費やしていたなと我ながら感心する。トイレ掃除、渡り廊下のモップ掛け、シャワー室のタイル磨き、野良犬の糞の始末、教室の床磨きなどなど、35、36歳にもなって、中学生のようなことをやるのは新鮮に感じられる……と格好よく書いたら僕の心が「嘘、嘘」とささやいた。そういえば、当時、寮長から何度も「オガワ、掃除をやり直せ!」と命じられ、「チェッ、分かったよ。やりゃーいんだろ、やりゃーよー」と、まさに中学生のような態度でふて腐れていたのを思い出した。すいません。掃除は苦手でした。
そのほか、夜7時以降の外出禁止(第10話)、薬草鑑別試験での罰ゲーム(第8話)、などメンツィカンの校則・しきたりは、20代、30代のいい年をした学生にとっては不条理なことが多い。でも、「ユル・チュ・トゥン・ナ・ユル・ティム・スン・ゴ・レ(土地の水を飲むなら、土地の法を守れ)」というチベットの格言にあるように、何はともあれまずは従ってみることが大切……なんて格好いいセリフは卒業した今だから言えること。もう1回、経験してみたいかと問われれば、もう勘弁願いたい。でも、もしも、将来、メンツィカンに入学したい日本人がいたら、これらの校則を参考にし、心して学んでいただきたい。
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