世界一深い湖、バイカル湖の東側にブリヤート共和国がある。ここではロシア領でありながらモンゴル系ブリヤート人が住み、そしてモンゴル同様に古くは18世紀からチベット仏教が信仰されていた。つまりロシア、モンゴル、チベットという三つの文化が交錯した複雑な地域なのである。ブリヤートでは昔から多くの僧侶がチベットへ修行に出かけ、帰国すると本場仕込みということで民衆から尊敬を得ることができたという。顔がチベット人と似ているので気がつかれないが、ダラムサラのお寺にはブリヤート人やモンゴル人が意外とたくさん在籍している。
また、仏教同様にチベット医学が伝統医学として根付いており、四部医典もロシア語とモンゴル語の両方に訳されている。しかも17世紀に作成された四部医典タンカ(第65話)の原典の一部が、その後、チベットからブリヤートに寄贈されていることからも、その関係の深さがうかがい知れる。しかし20世紀前半、ソ連の社会主義政策によって伝統医療も仏教と共に壊滅的被害を被った。そしてソ連崩壊後の1991年以降、伝統医療を復興すべくブリヤート共和国から多くのエリートが選抜されてメンツィカンに留学生として派遣されることになったのである。彼らは昔からの慣習に従い、チベット人から総じてソッポ(モンゴル人)と呼ばれた。
しかし、厳しい入学試験をくぐり抜けてきたチベット人とは異なり(第15話)、ソッポに限り入学試験は免除。そのためにチベット語の読み書きもまだ十分でない学生ばかりが入学したことから教育現場では混乱が生じた。特別クラスを設けるわけでもなく、同じ環境に置いたことで先生方もかなり指導法に頭を悩ませたようだ。また、校則においても試験においても特別な規則を適用したことからチベット人学生の間で不満が生じ、2002年7月にはソッポ排斥運動に発展してしまった。そして忘れもしない7月18日に大学主催で全校集会が開催され、ソッポとチベット人の代表生徒がカタ(祝福の白い布)を交換し、握手を交わすことでこの大問題はひとまずの解決を得た。生まれて初めて民族間の対立を目の当たりにした当時1年生の僕は、まったく第三者の立場で興味深く見守っていたものだった。
僕の同級生だったビクトルは朝青龍とそっくりの顔をしつつ、母国語はブリヤ-ト語で、そしてヒョードル(ロシア人格闘家)とウオッカをこよなく愛していた。一度「ソッポって呼ばれることに抵抗はないのか」と尋ねたところ「もちろん自分をモンゴル人だとは思っていないけど仕方ないだろ。もう慣れたよ」とやや投げやりに応えてくれたものだった。彼は排斥運動の嵐が吹き荒れた直後に入学したせいもあり、5年間、かなり肩身の狭い思いをしていたようだ。同じ外国人でも、歌に学生運動に暗誦試験にとチベット人以上に派手に立ち回った僕とは正反対だったといえる。しかし、卒業して母国に帰った今、ビクトルを含めみんなアムチとして大活躍しているのは、これまた僕と正反対といえる。今ブリヤートにとどまらずロシア、カザフスタンの各地でチベット医学の信頼が高まっているのは彼らの貢献に他ならない。当時、あまり快く思っていなかったメンツィカン職員も今では彼らを随分と見直しているようだ。
思うに、日本人の僕にとってはチベット医学がまったく異質の学問であったからこそ、目新しさも手伝って尋常ではなく頑張ってしまったのだろう。チベット人に認めてもらうために、いい成績をとって、いい子にしていなければという脅迫観念があったといえる。しかし、もともとチベット文化圏で生まれ育った彼らにはいい意味で親族のような余裕があったのではないだろうか。確かにメンツィカン在学中は成績も評判も僕の方がよかったけれど、18世紀から積み重ねてきた歴史の重みを加えると、やはり彼らには到底、敵わない。チベット医学の分野では日本人はまだまだ成り上がり者に過ぎないのだ。
もしも、の話だけれど、はるか昔の鎌倉時代、元寇のときに神風が吹かず、元の大軍に日本が支配されていたとしたならば、いまごろ日本もチベット仏教・医学文化圏に入っていたかもと空想するときがある。日本にもメンツィカンの分院がいくつかあって、アムチも何人もいるくらいチベット医学への理解が進んでいたことだろう。でも、そしたら僕も日本人でありながら「ソッポ」と呼ばれて複雑な思いをしたかもしれないな。
(補足)
13世紀、元の皇帝クビライ・カンがチベット仏教に帰依し、チベットとモンゴルが「施主と帰依拠」の関係になったことから、モンゴル文化圏でチベット仏教が広まった。ダライラマの称号はもともとモンゴルから与えられており、ダライは「大海」という意味である。また、チベット医を意味する「アムチ」も元々はモンゴル語で「医者」の意味である。
小川康同行 ツアー情報
【ツアーの出発日が変更になりました!】アムド出身のアムチ(チベット医)たちは「草原には薬草がいちめんに広がっていて、とっても綺麗なんだ」と胸を張っていたものです。このツアーでは現地のチベット医学院を訪問し、さらにラサへと鉄道で抜けてチベットの薬草を満喫します。
町からも近い山中での薬草探し、ブータンの医療現場見学など、小川さんと一緒でなければ体験できない企画が盛りだくさん。多くの薬草実習をこなしてきた小川さんと歩き、植物観察を楽しみながらブータンを違う視点で味わいたい、そんな方におすすめです。