小川 康の 『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』
(1月16日。小川アムチ薬房・チベット医学絵解き講座・第一回。一枚一枚、拡大コピーした絵解き図を紙芝居のように示しながら)
18世紀初頭に描かれたチベット医学タンカ(絵解き図)からは、当時の風習や世界観をうかがい知ることができます。たとえば『小さな虫など、すべての生き物を自分のことのように思いなさい(論説部第13章)』という一節の絵解きを御覧下さい。敬虔な仏教民族ならではの一コマですね。
同様に『自分に危害を与える敵ですらも、手を差し伸べなさい(同上)』の絵からもチベット仏教に根ざした寛容さが伝わってきます。
季節の養生法(論説部第14章)の章に描かれている耕作の図は春を、収穫の図は秋を表現しており、当時の農耕や服装の様子がわかります。
そのほか『相撲をとるとティーパの病が発症する(第9章)』や『酒は度が過ぎると、性格が変化し、羞恥心がなくなる(第16章)』という一節からは現代に通じる人々の温もりが伝わってきます。
また、医学教典にはチベットには棲息しない動植物も数多く描かれており、当時の情報をなんとかして伝えようとする必死さが感じられます。まずはこの絵を御覧下さい。チベットで最も崇められているセンゲという動物ですが、何だと思いますか。ライオン、正確には雪獅子です。アフリカから遠く離れたチベットでも比較的正確に描かれていることが分かります。ちなみにこの絵は『貴重な雪獅子のお乳を、低俗な容器に入れると、容器が壊れてしまう。したがってチベット医学の教えは、相応しい人間だけに伝えよ(結尾部第27章)』という一節を表わしています。
では、このチュスィンと呼ばれる動物は何でしょう。鯨ですか、違います。実はワニなんです。『時代が混迷したならば、聖なる医学教典をワニの喉の奥に隠しておけ(同上)』という一節を表現したものです。
次の問題です。これは一番、面白いですよ。何でしょう。ムティクという薬が採れる動物を表わしています。ちなみに『ムティクは、脳に及んだ傷を治し、毒の病を癒す(論説部第20章)』とあります。ヒントは海に棲息する動物です。難しいですか?
正解はなんと「XX」なんです。笑ってはいけません。当時、海からもっとも離れた環境という限られた情報のなかで想像を最大限に膨らませた結果なのです。現代はインターネットですぐさま情報が得られてしまい、想像力を駆使する機会が限られているとも考えられませんか。私たち日本人が多くの情報を正確に知っているのは、たまたま現代の情報社会に身を置いているからであって、ほとんどは個人の努力で得たものではありません。そういった意味では当時の人々の方が、本質的に情報収集能力が優れていたともいえます。
17世紀までタンカというと、神格化された仏様を描くことだけに、ほぼ限られていました。ですから、聖なる仏教思想と大自然の中で必死に生き抜く俗世間、つまり聖俗の両面を写実的に描き出した医学タンカ80枚の出現というのは当時、革命的な出来事だったのではと推察できます。まさに医学タンカは18世紀に埋蔵されたタイムカプセルなのです。そして、こうして一枚一枚、一コマ一コマ、絵解きをしていくことで、チベット社会の真の姿に触れることができると同時に、いかに医学が文化、風俗、なによりもチベット仏教に根ざしているかを納得することができます。
絵解き講座を行なう目的はチベット文化を広く紹介すること。またもう一つ医療人類学的な意味合いも強くあります。私は現代医療の現場に宗教や文化そのものが必要だとは考えていません。チベット医院を日本に新たに設置する必要もありません。しかし大学など医療教育の過程においては必要だと思っています。なぜなら医学は宗教、文化、風俗とともに発展してきた歴史があるのですから。科学の学びが砂糖の溶解実験など初歩的なことからスタートするように、医学もまずは根っこから学ばなくてはなりませんよね。
さてそれでは、前置きはここまでにして、いよいよタンカ一枚目、医薬の都タナトゥクの世界に御案内しましょう。西洋、東洋を問わず、すべての医学はここから始まったのです。(続く)
追記:XXの回答は次回以降に正解を発表します。
案内
2月14日(日)にも第一回の絵解き講座を再度開催します。時間、内容は1月16日と同じです。また、途中参加や、興味のある講座1回だけの受講も可能です。みなさんのお越しを小諸でお待ちしております。