第44回●「サクラ」仏教と柔道の融合

小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

サクラ。撮影ダラムサラ。チベットでの通称はカンプ・メト。ダラムサラでも10月下旬になるとサクラが満開になる。

いま、カザフスタン(以下カザフ)の辺境の地ウラリスクに新しい精神文化が生まれつつある。モンゴル騎馬民族の風習が基本にありながら16年前までは旧ソ連の社会主義体制下にあり、またヨーロッパの影響も受けつつ、さらに、朝鮮戦争の影響で多くの朝鮮民族が居住し、制度的にはイスラム教が信仰されている複雑な歴史のはざまで伝統文化がほぼ失われてしまったという。そんな街の学校の校長ムラッド先生がチベット仏教と日本柔道に興味を抱き、メンツィカン(チベット医学暦法大学)のソーパ僧医を招聘したのが新しい物語の幕開けであった。多分、こんな公式が脳裏に浮かんだのではないだろうか。

 チベット仏教・医学 × 日本柔道の精神 = ウラリスクの子供たちの未来

 2005年、現地での三ヶ月の診療、仏教の説法を終えてソーパ医が戻ってくると、すぐさま僕のもとを訪れた。
「日本の柔道家を紹介してくれないかと頼まれているんだが心当たりはないか」
 心当たりどころか、体に当たって跳ね返ってしまうほどの巨大な日本人を知っている。三浦守氏は25年に渡ってインドの子供たちや警察学校で柔道を教えインド全土の柔道レベルを向上させたとともに、昔、ダライ・ラマ法王のボディーガードにも柔道を教えたことがある縁でたまにダラムサラを訪れる。初めて会ったとき、座っていた椅子が体重を支えきれずに壊れたことは今でも笑い話に使わせていただいている旧知の仲であり、今回の件も二つ返事で快諾してくれた。そして2008年6月下旬、ウラリスクで二度目の赴任を終えた三浦氏がダラムサラを訪れた。
「カザフの柔道を知っている人間は、みんなヨーロッパ流のポイントにこだわる小さい柔道をするね。だから俺は子供たちに、きちんと組んで一本を狙いに行く日本の柔道を教えているんだよ」
 なるほど、こんな草の根の地道な努力によって、日本と諸外国との柔道摩擦が解消されていくかもしれないと感じる。
「ところでカザフ語とロシア語が公用語ですよね、三浦さんは何語で喋っているんですか」
「日本語に決まってんじゃねえか。柔道は日本語でやるもんなんだよ」
 事実、ソーパ医が二度目に赴任したとき、子供たちが日本語で柔道を語るので驚いたという。そして入れ替わるように再びウラリスクに赴任するソーパ医と、今後の方針について語り合いたいというので僕が通訳として間に入った。
「最初は俺が話してんのに壁に寄りかかってガムを噛みながら聴いているやつもいるのには参ったね。でも注意すればわかってくれたよ。きっとソーパさんが以前に仏教を通して師を敬うことを教えてくれていたからじゃないかな」
 三浦氏は柔道を教えながら、すでにチベット仏教の影響を感じ取っていたという。事実、最初のうちソーパ医に対して民衆の反応は薄かったものの、次第に心の相談に訪れる患者が増え、号泣する患者もいたんだと三浦氏に語る。そういえば僕も病院での実習中、心の病や、人には言えない体の病で訪れる外国人に触れることが少なくない。こんなときは近いけれど遠い存在である異民族のほうが心を開きやすいのかもしれない。そして今、ウラリスクの子供たちはチベットと日本からの異人に心を開いてきているのだろう。旧ソ連社会主義体制の影響は色濃く残っていると両者は口をそろえる。
「地域、学校、家族。この三つの輪が上手く回らないとダメなんだよ。だからソーパさんには家族や個人の心の部分をケアしてもらいたいんだ。俺はこんな大雑把な人間で細かいことはできないからさ」

稽古をつける三浦守氏。畳がないので、マットを敷きつめて稽古を行っている。当面の活動は日本で古い柔道畳を集めてウラリスクに送ることだという。

 三浦氏は大きな輪を回すべくカザフ全土の主な柔道場を訪ねて歩き、カザフ−日本柔道友好協会を政府公認のもとに設立してきたという。それもほとんどが道場破りのごとくアポなし突撃訪問だったというからその行動力は体重に反比例し軽く素早い。しかし一たび立ち止まるや、その人間的魅力は体重に比例して多くの人を引きつける。
「俺のやっていることはすぐには結果がでないんだよな」
 そう、もしかしたら何百年後か、ウラリスクの土地だけにチベットと日本の精神文化が融合した面白い文化が栄えているかもしれない。そのとき街の片隅に植樹されたサクラの木の下で三浦氏の銅像が満面の笑みでたたずんでいたとしても、この御仁がたこ八郎を兄弟子と仰ぐコメディアンで、はじめての役が新宿コマ劇場での上野公園の西郷隆盛の銅像、そして初セリフがチャンバラをする千昌男に向かっての「どーぞー(銅像)」だったことを知り、笑ってくれる人はもう誰もいないだろう。

ウラリスクの子供たち。右から三人目、日本人のような顔立ちの人がMrムラッド氏。 中央は三浦守氏。
<参考>
三浦さんHP「“柔道馬鹿”三浦守のパワフル亜細亜見聞通信
畳に関する三浦さんからのお願いはこちら

小川 康 プロフィール

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