小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』
メンツィカン診察室に母親が3歳児を連れて訪れた。
「もう大丈夫。お薬だすからね。ちゃんと飲みなさいよ」。ダチュ女医が優しく微笑んで処方箋に薬を書きこむ。と、そのとき子供が突然、背中のぬいぐるみを差しだした。
「先生、ウサちゃんの脈も診てちょうだい」
「はいはい、わかりましたよ」と先生はすぐさまウサギの左手の脈を診つつ「ほらオガワも脈を診なさい」とウサちゃんの右手を差しだしてくれた。うーむ、さすがに聖なる教典に、ぬいぐるみの脈診は記されていなかったな。アムチ(チベット医)が二人、ぬいぐるみの脈を真剣に診る光景はかなり笑える。しかしアムチ歴20年ともなるとウサちゃんの微細なエネルギーすらも感受できるのである。
「ちょっと遊びすぎて疲れているみたい。ゆっくり休ませてあげなさい」
子供が大満足で帰っていく様子をみながら、アドリブのきかない自分の未熟さを痛感しつつ、小児科医としての高度な技術を有するチベット医学の懐の深さに敬服させられたのであった。
一方、ダラムサラから車で1時間、ゴバルプールという村にはTCV(チベット子供村)の分校があり、ここに小児科医の柿原敏夫先生が学校医として赴任されている。分校とはいえ4歳から18歳までの生徒が2000人も親元を離れて共同生活しており、一日100人の子供を検診しても実に1ヶ月もかかる。3月 24日に訪問したときも、先生は笑顔を絶やさず次から次へと小学6年生の検診を行われているところだった。
「先生、何しているんですか?」
「耳垢がたまっている子が多くてね。とってあげているんだよ」
先生はお母さんがやるべき仕事もこなしていく。昭和30年代を彷彿させるようなレトロな空間に先生は見事なまでにはまりこみ、なによりもチベット語で問診していることがより生徒との距離を近づけて親近感を生みだしているようだ。
「珍しい心音の子がいます。ちょっと聴いてみますか」と同行した名古屋大医学部生に聴診器を渡した。学生は先生の助言に耳を傾けながら心音に集中する。「日本では使う機会が少なくなっていますけど、私は聴診器が好きなんです」と車の中で熱く語っていた言葉が思い出される。そして、先生が100人目の診察を終えて外に出るや、学生が開口一番、尋ねた。
「先生、日本の子供とは何が違うんですか」
「ありきたりだけれど、心、だね」先生はすぐさま答える。濃緑のお茶畑に囲まれた敷地内では時間がゆるやかに流れ、朝は鳥の声で目が覚める。たまに聴こえるバイクの音によって、ここが一般社会とつながっていることを久しぶりに思いだすのだよ、と先生は校内を案内しながら語ってくれた。
それは千葉の農村で育った先生の幼少時代と重なるという。携帯もゲームもテレビもない。何もない中で人との触れ合いだけが唯一の娯楽なのだろう。寮生活において年長者にお世話になり、年少者の面倒をみることによって縦社会の成熟した心が育まれている。そんな環境で日本から訪れた医者に送られる子供たちの感謝と尊敬の念の大きさは想像に難くない。子供たちのはじけるような笑顔は先生に力を与え、その活力は再び子供たちへと還元されていく。そしてゴバルプールの医療の輪がより大きく豊かに育っていく。
「先生の活動が日本で紹介されたことはないんですか」と尋ねると笑いながら答えられた。
「ないですよ。なぜなら、こんなに素敵な場所を、他の医者に知られたくないからね」
肩透かしを喰った僕らを傍目に「でも・・・」と先生は続ける。
「日本の医者、特に小児科医や臨床心理学を目指す学生にとって、ここには学ぶべきことがたくさんある」
医学生が大きく頷いた。結核など日本では見られない症例に触れられることも貴重な経験となるだろう。しかし、それ以上に、些細な失敗も許されない厳しい日本の医療環境で生きていく中で、いま、同時に、ゴバルプールの子供たちが笑い、濃緑の茶畑の上を風が吹きぬけ、メンツィカンではアムチがぬいぐるみの脈を診ているんだ、と想像するだけで心がほっと安らぐのかもしれない。僕はそんな医学生のサポートをしつつ、日本社会の医療の輪にほんの少しでも貢献できたらと願っている。チベットの子供たちと医学にはそのヒントが隠されている。
追記 柿原先生は4月12日に日本に帰国され、今後は定期的に検診に来られる予定です。