第30回●「ティクタ」脈診の神秘

小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』

チャクティク・ランゴーマ (直訳すると、鉄のリンドウ・牛の頭)

2008年2月11日、チベットの正月休みが明けた最初の月曜日、いよいよ僕の病院実習が始まった。一応、肩書きはアムチ(チベット医)となり、職員の方々から向けられる視線にはどことなく尊敬の念が込められていると感じるのは自意識過剰のせいだろうか。
医者ともなると身だしなみにも気を配らねばなるまいと、日本から持参したジャケットを羽織り、ヒゲを剃り、颯爽と診察室に腰を下ろしたのはいいものの、この冬一番の寒波がやってきたために、どえりゃー寒いとなぜか名古屋弁が口をついて出た。人体と大宇宙を一体化して考えるとされるチベット医学の病院には暖房器具という文明の産物は望むべくもないが、自分も小学校時代、雪が降り積もる中を真っ白な半そで半ズボンで登校し続けたことを考えると、当時すでにチベット医学への修行は始まっていたのであろう。さすがベテランのデキ女医はセーターの上にダウンジャケットを着込んで寒さに備え、ほとんど雪だるま状態で大自然からのエネルギーを受け取り、患者の微細なエネルギーを感じ取っていく。とてもチャーミングで物静かな先生は、ひそかに僕が最も尊敬するアムチの一人である。優しいお母さんのように笑顔で淡々と脈を診ていく姿は、僕が唱える「チベット医学・家族論(第3話参照)」をまさに実践されているように映るからだ。

授業の合間に脈診の修練に励む生徒 デキ女医の診察風景は第26話参照

先生が患者の右手の脈を、同時に僕が左手の脈を三本の指で診ていく。なんでも神秘のチベット医学では脈診によって内臓の病気はおろか、親兄弟の病気、さらには占いの類のこともできると教典に記されており、この脈診の章を約千回は暗誦したであろう僕にも神秘の能力が知らぬ間に降臨しているかもしれない。とりあえず脈を診る右腕の肘を張って格好よくポーズをとり、視線は右下斜め虚空を見据えてやや眉間に皴を寄せてみる。決まった・・・。三本の指先に神経を集中すると、まるでヒバリが鳴くがごとく忙しく患者の脈が走っている。もしや、この若者は不治の熱病に冒されて・・・、と空想の世界に浸っているとき患者から驚愕の一言が発せられた。
「いやー、新年のパーティーで飲みすぎちゃって気持悪いんですよ」
そう、新年休み明けの今日、ほとんどは飲みすぎ食べすぎの患者のため、脈がみんな異常に亢進しているのである。
「新年を楽しんだんでしょ。良かったわね。じゃ、朝は胃の熱を抑えるのに月晶丸(第19話参)、昼は吐き気を抑えるのにティクタ八味丸を処方するから、ちゃんと飲むのよ」

メンチョク・ティクタ・ゲーバ・ダックパ・ディ・ティツェ・ミクチュ・シャダン・セルワ・ジョム
竜胆八味丸という最上薬は、ティーパの熱(熱病の一種)、黄涙、黄疸、を癒す。
         四部医典結尾部第4章

薬局に並ぶ丸薬。160種類ある。

ティクタは直訳すると「苦味」で、薬草の中でも苦味の代表であるリンドウ科(竜胆科)を総称してティクタと呼ぶ。次から次へと新年気分が抜け切らない二日酔い患者が訪れ、竜胆八味丸ばかりが処方されていく。なんとも特別な日にアムチ・デビューしてしまったものだ。
そんな賑やかな病室に一人の垢抜けない老人が付き添いとともに訪れた。風邪をこじらせたのか喉が痛いという。先生は老人の右手を取ると丁寧に脈を診察しながら「おじいさん、どこから来たの?」と優しく尋ねた。
「私は、ずっとポタラ宮殿の管理をしておったものです。ソンツェンガンポ(7世紀のチベット王)の霊廟、次はダライ・ラマ五世(17世紀)の霊廟の管理をしておったのですが、先日、ダライ・ラマ法王に謁見が許された際、法王が私に次々と最近の宮殿の様子を質問してくださって・・・(涙)、なんとも有り難いことで・・・」
デキ女医は脈を診る手を離すことなく老人の話に耳を傾けている。老人の左手の脈を診ながら話を聴いている僕の脳裏に、ラサのポタラ宮殿の光景が浮かび上がったのは神秘の成せる業だろうか。
「そう、それはよかったね、おじいさん。じゃ、朝は月晶丸、昼はチュガン二十五味丸、夜は沈香八味丸を処方しますからね。すぐ喉は良くなりますよ」
「トジェスィー、トジェスィー(有り難いことで)」
老人は眼に涙を浮かべたまま手を合わせて診察室を去っていった。そしてまた食べすぎ、飲みすぎ患者が絶え間なく訪れる。

今年一年、患者の脈を通してどんな物語に出会うことができるのかとても楽しみにしているけれど、もう酔っ払いの物語だけはディクソン(結構)かな。

小川 康 プロフィール

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