小川 康の『ヒマラヤの宝探し 〜チベットの高山植物と薬草たち〜』
「イクツェー、イクツェー、セヤデ、ケーチェンボ、マレー!(試験、試験、というのは重要じゃないんだ!)」
試験が近づくと、こんな絶叫が寮内に響き渡る。もちろん「重要じゃない」というのは重要であることの裏返しであり、試験のプレッシャーの大きさは僕自身も強く感じている。 筆記試験は、5月下旬、7月下旬、12月下旬の三回に渡って行われ、その都度0.5点刻みで細かく順位が決められ掲示される。12月上旬に行われる暗誦試験(14話参)も含めた年間総合得点において上位3名は創立記念集会で表彰されることから、生徒によるメダル争いも熾烈を極める。
「オガワ、日本の大学はこんな風に順位をつけたりせずに自由なんだろ?」
ルームメイトは試験が近づくと決まったように僕にそう愚痴をこぼす。
「うーん、さすがにメンツィカンのやりかたは行き過ぎだと思うけれど、逆に日本の大学は自由すぎて勉強しないからね。僕は日本の大学にいたときよりも今のほうが10倍くらい勉強しているから充実しているよ。でも正直言って順位 をつけるのは賛成しないな」
「そうだろ。合格、不合格だけ掲示すれば済むことじゃないか」
点数が半分以下になると赤点で、最初の2回の試験を続けて赤点をとるか、年間総合得点が半分以下ならば落第となる。
筆記試験は3時間の科目を2日に渡って開催される。毎回、入学試験のような仰々しさで身体検査も行われるのには当初、驚かされたものだ。だいぶん慣れてきたとはいえ3時間もチベット語を書き続けると必ず頭がオーバーヒートし、2,3日は不眠症に悩まされることになる。
「チベット医学は健康に悪いよ」
僕はたまに友人に冗談めかしてそう告白している。
そういえば大学入学時に「試験で一番を獲得するまでは決して大学を辞めない」というささやかな誓いを立てたことがあった。それは裏を返せば決して辞めることなく卒業しなくてはいけないという誓いでもあるのだが、正直なところ入学時31歳の僕にとって5年間、しかも厳しい全寮制での生活はとても我慢できるとは当時考えていなかった。必死に勉強して万が一にも一番を獲得できたら堂々と大学を辞めて日本に帰れるだろうという、ある意味、発奮材料「ニンジン」のような意味合いも少しあっただろう。そして幸か不幸か一番を獲得することなく5年生の今に至ってしまっている。
いや待てよ、そういえば一度だけ一番を獲得したことがあった。あれはヒマラヤ薬草実習最終日に行われた薬草鑑別 試験(第8話参)での出来事。試験では101種類の薬草が並べられるが、伝統に従って必ず第1問目はド(インド小麦。第20話参)、101問目はリショ(キク科)と決まっている。
リショ・ティーパ・チャンツェル・ベーケン・テン
リショはティーパを引き上げ、チャンツェル(野アザミの一種)はベーケンを引き上げる
四部医典論説部第20章
インド小麦は仏教が生まれた聖なる国に敬意を表するため、リショは大地から真っ直ぐに生え、先端に黄色い花を咲かせる姿が吉祥とされることが理由だとされている。そして一人ずつ試験が終わるたびにリショを手に掲げ、三回回った後、ある一節を叫ばなくてはいけないという、これまた不思議な伝統が続いている。もっともこれは「私は試験を終えました。もう後戻りして書き直すことはしません」と宣言する現実的な意味合いも帯びている。くじびきで最後のほうになってしまった僕は、最後の解答欄にリショと書き込むと、リショを右手に持ち三回回った。遠く200m離れたベースキャンプからは、すでに試験を終えた同級生たちが僕のパフォーマンスに注目しているのが分かる。僕は大きく息を吸い込むとチベット医学史上最大級の大声をヒマラヤ山中に響かせた。
リショトタ・ゲンドゥンケー・カルポ・ヤーテンインノー・ハーゲーロー!
リショはお坊さんが誕生する幸福な時代へと導いてくれる。神に栄光あれ!
思えば、少年野球時代、バッターボックスに入るときの気合だけは町内一だと褒められていたものだった。そしてヒマラヤ大声コンテストでも満場一致でオガワが一番だと認定されたものの、残念ながら日本帰国の理由として認められなかったのは当然のことかもしれない。