文 ● 中山 茂大 写真 ● 阪口 克
おばあちゃんが元気な ガーレガオン村の「長寿の秘訣」
マナスル山群に抱かれたガーレガオンの村
ガーレガオンには、女性の姿が目立った。インドと中国の中間に位置するネパールは、古くから交易が盛んだった。グルン族の男たちは交易品の運送に従事したので、長期間、家を空けることが多かったそうだ。その間、女たちは野良仕事をしながら家を守った。現在ネパールは、有名な「グルカ兵」に代表される「出稼ぎ大国」だが、男たちが長期間、家を空けるのは、ごく自然なことだったに違いない。
ガーレガオンからも「グルカ兵」として外国の軍隊に勤務する人は多いそうで、その仕送りのおかげで、村はたいへん裕福だ。その代わり三十代、四十代の、働き盛りの男の姿をあまり見かけない。だから村では、女たちが多いように感じるのだろう。その中でも特に目立つのは、おばあちゃんである。
「まごわやさしい」
元気なおばあちゃん達
実際ガーレガオンには、元気なお年寄りが多い。隣のおじいちゃんは、退役軍人で、イギリス軍の中尉だったそうだが、御年85歳。聞くところによると、インパール作戦で日本軍を迎え撃ったとか。あるいは我々のホームステイ先に、よく訪ねてきたおばあちゃんは、レディにお年を聞くのも失礼なので訊ねなかったが、やはり八十歳を過ぎていたのではなかろうか。他にも元気なおばあちゃんがカクシャクとして暮らしておられる。
ある日、日なたぼっこしながら機織りをしている、おばあちゃんたちの井戸端会議に顔を出した。そして、よく日焼けしてツヤのよい数人のおばあちゃんに、長生きの秘訣を聞いてみた。
「あら、いやあねえ」
おばあちゃんたちは、ちょっと恥じらいながらも、笑顔で答えてくれた。
「都会みたいな汚染がないからねえ」なるほど。一度、「スワヤンブナート」の頂上から、カトマンズを眺めたことがある。そこには地上数十メートルの高さまで、薄黒く澱んだ排気ガスの層が、帯状に堆積しているのが見えた。カトマンズの大気汚染は、東京よりもはるかに悪い。それに比べたらガーレガオンは天国みたいだ。
「たくさん働いてるからねえ」
もうひとりのおばあちゃんは言った。
「そうそう。坂が多くて、足腰が鍛えられるからねえ」
日々の野良仕事で身体が鍛えられる。また坂の多い村を行ったり来たりするので、足腰が丈夫なのだという。まさにその通りだ。
「ごはんがおいしいわよねえ」
別のおばあちゃんが答えた。
ネパールの定食を「ダルバート」という。豆カレーの「ダル」とごはんの「バート」、野菜の煮物などのおかず「タルカリ」の三点セットである。ダルを味噌汁に見立てれば、日本の一汁一菜とまったく変わらない。
「まごわやさしい」食事
この菜食主義(というよりも粗食主義)も、ガーレガオンの長寿の秘訣だろう。「粗食」ではあるが、まずいわけでは決してない。むしろインドのカレーよりも油分が少なく、あっさりしていて、日本人好みの味わいだ。
我々は一週間の滞在中、毎日ダルバートを食べていたが、「飽きた」と感じることは一度もなかったし、むしろ食べ過ぎて太ってしまったくらいだ。
肉や魚はあまり食べない代わりに、マメと野菜と穀物が主体の非常にヘルシーな食事が、ガーレガオンでは一般的である。
日本にも「まごわやさしい」という言葉がある。「豆類」「胡麻」「わかめ(海藻類)」「野菜」「魚」「しいたけ(きのこ類)」「イモ類」のことで、健康的な食生活の基本となる食材の頭文字をとった言葉だ。
ガーレガオンの食事には、その多くが該当している。
ガーレガオン的「長寿の秘訣」とは?
ヤギを捌くのは男達の仕事
おそらくこれらすべてが合致して、村のおばあちゃんの健康を維持しているのであろうことは想像に難くない。
しかし最後にひとつ、私が確信した「長寿の秘訣」。
それは、村のおばあちゃんの「笑顔」だ。
機織りをしながら井戸端会議に花を咲かせるおばあちゃんは、よく笑った。ただでさえ柔和で険のない顔を、くしゃくしゃにほころばせる。その姿は、とてもくつろいでいるように見えた。
村人たちは、みな親戚で家族の一員のようなものだ。気の置けない仲間たちと、なに不自由なく暮らしているせいだろう。
この村では「十年一日」という言葉が実によく似合う。時間は悠久に流れ、村人はゆっくりと生き、老いていく。
ノルマもないし、原稿の〆切もない。見ず知らずの人に「お世話になっております」といってアタマを下げることもない。「圏外」だから「オレオレ詐欺」もかかってこない。
雄大なアンナプルナ連峰を望みながら、「十年一日」のごとく野良仕事に精を出し、地元の野菜を食べ、スリルはあんまりないかもしれないけれど、その代わりストレスもなく、気心の知れた友人たちと、いつまでも平和に暮らす。ガーレガオンの長寿の秘訣は、どうやらそのあたりにあるらしい。
そしてそれは、かつて日本にも当然のように存在していた村落共同体の姿でもあるだろう。失われてしまった平安な村の姿を、どこかで求めているからこそ、私たちはネパールに心惹かれるのではないだろうか。
「風通信」36号(2009年2月)より転載