赤福の不祥事も、船場吉兆の偽装事件で、報道も少なくなってきました。以前から申し上げて来たように、私の実家は、兄で3代目になる菓子屋で、昔から餅饅頭を作ってきましたので、赤福のことはぐっと身近に感じます。今回のような問題が起きると、なんだか、身内のことのように感じてしまいます。
子供のころからしばしば手伝わされましたら、製造工程も日常的に見ていました。昔は、餅も饅頭も、その日の内に売るのが常識でした。何故なら饅頭なら皮が乾燥してパサパサになりますし、餅は、餅そのものが硬くなってしまうからです。しかし、あんこは、砂糖がしっかり入っていますから、すぐに傷んだりはしません。従って、売れ残れば、再利用する。というのはごく当然のことでした。もう一度、加熱して練り直せば、なんら問題はありません。もちろん、今は、できませんが。
菓子屋に限らず、商店は傷んだものを売れば、店の信用が落ちて商売がおぼつかなくなりますから大変気を使っています。怪しいものは店に出しません。目で見て、臭いを嗅いで、触ってみれば、職人なら誰でも分かります。これが、食べ物を扱う者の“実感”です。また、傷んでいなくても、味が落ちれば売らない。それが職人の魂です。しかし、同時に、食べられるものは捨てない。家族で食べたり、作り直したりします。これも昔から行ってきたことです。
もちろん、まだ、もつからといって製造日を偽装して良いはずはありません。しかし、賞味期限や、消費期限のいう法律が、長年掛けて身に付けてきた職人の“実感”をすべて否定してしまうような気もします。大量流通を維持するためにできたルールなのでしょうが、毎日お客様の顔を見て売っているような小さな菓子屋では、“実感”の方が大切だと、私は思ってしまいます。みなさんは、如何でしょうか。