8月30日、日曜日、選挙結果をテレビで見始めた途端、当確が山のように出され、のっけから大勢が判明してしまったような報道に、なんだか楽しみを奪われたような感覚に陥りがっくりしてしまった。まるで、映画のラストシーンから見せられるようなものだ。マスコミ間の競争だと思うが、早いだけでどのチャンネルも内容はあまり変らない。何故か、理由は、簡単だ。全国放送だからだ。全国一律じゃなく、その地域の候補者のことをもっと取り上げる時間を取らないと身近には感じない。
ともかくも、「選挙で政治は変らない」と、いう長年の“確信”は、完全に覆された。小選挙区って、こういう意味だったのかと、私は、今回の選挙で初めて実感した。ところが、今度は、「勝ちすぎだ」「日本人は極端だ」。「次は、また逆になる」なんだか、勝った民主党や投票した国民の考えが浅はかなような訳の分からない批判が次々出てくる。
小選挙区制度で、こういう現象が起きることはカナダで実証済みというではないか。こんなに大勝、大敗という現象が起きるのは、まさに、小選挙区という制度そのもの問題であって、日本人が一色に染まる危険な国民だみたいな批判はお門違いだ。
むしろ、前回の小泉劇場のときもそうだったが、こうした、一色に染まる傾向を助長しているのはマスコミそのもののような気がする。全国放送や全国紙ばかりが幅を利かすようなテレビ、新聞ではそうなって当然だ。いっそのこと、一色に染まらない、地方に分権したマスコミにしてはどうだろう。そうすれば、もっと地方や地元の声が聞こえるんじゃなかろうか。選挙も、人物本位の実感のある選挙に変わるに違いない。
昭和史の中で、新聞が戦争を煽る報道にのめりこんでいったのも、一つには、全国紙という強大な力をもっていたからではなかったか。マスコミこそが、様々な主張や、個性のあるニュースを各社個性をもって取り上げてほしいものだ。