参議院選挙が始まった。民主、自民の2大政党が増税すると公言する、珍しい選挙だ。「無駄を無くせば財源はある」と言って民主党が始めた事業仕分けの公開は、途中から、そんなことをしても金は簡単には出てこないことが分かって、パフォーマンス的な要素が強くなったが、巨額の税金が実にバカげたことに使われていることだけはよく分かった。
対象になった法人で働く人もいるからあまり乱暴なことはいえないが、一旦すべてゼロにしてしまうくらいの荒療治が必要だと感じてしまう。そもそも、こんな特殊法人など無い国が世界では殆どだから、なくてもなんら困らない。ネパールやモンゴルのスタッフとこんな話をすると、「日本は、お金持ちだから(そんな、無駄づかいもできる)」と半分バカにされてしまういそうだ。
また、事業仕分けをしていく内に、幾ら仕分けをしても、無駄づかいも簡単にはなくならないことが明白になり、「なんだ、やっぱりそうか」と、そのことの方が、私には落胆が大きくなり報道を見るたびに暗澹たる気持ちにさせられた。
利権を守ろうとするやからは、国家を食い物にしてはばからないし、これを攻める側も、表面的には正義感が溢れていても、「ここで仕分けしても、即、無駄がなくなるわけではない」という空しさからか、どこかで、諦めてるような雰囲気が回を重ねるたびに感じられるようになり、次第に、世間の注目も冷めていったように思う。
それにしても、事業仕分けは、本来、政治家がやるようなことなのだろうか。枝葉末節、重箱の隅をつつくような議論ばかりしている政治家が多くなった。まるで、優秀な官僚のようだ。弁も立つし、理路整然としている。しかし、魅力が無い。論理だけの人は、論理に負ける。自己矛盾で論も次第に立たなくなって信頼を失う。
政治家とは、信念で動くものだと私は思う。さあ、どうしよう。7/11は投票日である。