坂の上の雲

つむじかぜ312号より


今年も、『坂の上の雲』が始まった。昨年放映した第5回までの再放送もやっていたので、それもついつい見てしまった。5日の日曜日は、ハイビジョンで夕方の5時半から第7回を、7時半からは第6回をやっいたから、話の順序は逆になってしまったが、それでも見てしまった。

日露開戦以降は、戦いの話が多くなる。原作を読んでいても、司馬遼太郎は、よくぞここまで詳しく書いたものだと思うほど、作戦や戦闘、そしてそれを遂行した人々について詳しく書いている。司馬遼太郎は、生前は『坂の上の雲』が戦記物として描かれることを嫌って映画化を許さなかった。まさか、今回のドラマも戦争や軍人の美化に陥ることはないと思うが、それでもやっぱり戦の話になる。

日露開戦以前の話は、「明治という時代のオプティミズムは、、、」というあのナレーションに象徴されるように、なんともいえない快さを伴った明るさを感じさせてくれる。なんといっても正岡子規が凄い。カリエスであれだけ苦しんで悲惨なはずなのに、いつも前向きに生きている。

 「糸瓜咲て痰のつまりし佛かな」
 「痰一斗糸瓜の水も間にあはず」
 「をとゝひのへちまの水も取らざりき」

糸瓜三句を読むシーンも大変力強かった。句の内容は、もはや仏同然の身に糸瓜の水を幾らとっても意味がないという悲しい句なのに、まだまだ生きたいというエネルギーすら感じさせてくれた。

時代の楽観主義とは関係なく、子規という個人の生き方がやっぱり凄い。『国が滅びれば文化が滅びる』子規にとっては、国も大切だが、文化こそ世界そのものだったに違いない。

★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。

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