先日、嘗て色々な意味で話題となった水泳の千葉すず選手のことをテレビでやっていた。当時の映像を織り交ぜ、本人が、当時の事を振り返りながらインタビューに答えるという形式だったが、一生懸命感情を押さえながらも、彼女の心の中は、今でもそんなに熱いのか、と感じさせてくれて、つい「そうだ!」と掛け声を掛けたくなった程だ。
マスコミは、この10代半ばの天才スイマーをまるでアイドルかのように追いかけ回し、「朝は、何食べたの?」といったくだらない質問を浴びせ写真を取り捲った。
「練習が終わって疲れていても我慢して取材を受けました。水泳とは全く関係のない質問ばかりでした。しかも何社も。水泳の事なら、何回同じこと聞かれても構わないけど、もう、うんざりでした。」
私は、当時の事をそれほど覚えているわけではないし、週刊誌も読まないから、そんなにアイドル扱いをされたことも知らなかったが、国際水泳連盟が指定するシドニーオリンピック代表選考で、五輪A標準記録を突破して200m自由形で優勝したのに、代表に選考されず、「スポーツ仲裁裁判所」(CAS)に提訴したことは覚えていた。
結局、裁判には負けたが、その後、日本水泳連盟は代表選考基準を明確にし、他のスポーツでも同様に基準の明確化が進んだそうだ。また、アトランタオリンピックで、千葉すずは若干20歳でキャプテンで出場しているが、日本水泳連盟に、「オリンピック前一年間は指定の水着しか着れないが、選手にとって水着は命、自分の体に合った水着を自由に切れるようにして欲しい」と訴えた。当時は許可されなかったが、現在では、当然のように選手が水着のメーカーを自由に選べるようになっている。
「オリンピックは楽しむつもりで出た」
「そんなにメダルというなら自分でやればいいじゃないか」
「日本の人はメダル気違いだ」
アトランタオリンピックの後、ニュースステーションに出場し、久米宏のインタビューにこう答えた。これが、またまた大きな騒動を巻き起こした。番組のインタビューには、「あの発言をしたことが、正しかったとは、今は思いませんが、内容に関しては、今も、そう思います。」千葉すずは、今も熱い。
今では、「オリンピックを楽しんできます」と、どの選手も堂々と言う。しかし当時は、「そんなこと言っているから負けたんだ」と千葉すずは、大バッシングを受けた。その結果が、この発言になった。
組織の論理は、個性を押しつぶす。そうあってはならないと分かっていても組織や社会規範、そして常識や“正しさ”とは、そういうものだ。私の立場では、手放しに千葉すずの側には立てないのだろうが、そういう気持ちは失いたくないものだ。