この本は、ずしんと重い。『もの食う人々』辺見庸著。(角川文庫)
本の題名からして挑戦的である。やっぱり力点は「人々」にあるのだろう。「もの食う」とは、「生きる」ということと同義語だ。この本は、1992年末から1994年の春にかけて取材して書かれたもので、当時大変注目され話題となった「驚愕のルポルタージュ」である。
残飯が売り物になっているダッカから始まり、タイでの猫用缶詰の工場で働く少女へのインタビュー、ピナトゥボ火山の裾野に古来から棲み続けて来たアエタ族が噴火で里の町に避難し、すっかりネスカフェの虜になってしまった老人の話、べオグラードのセルビ正教会修道院での1泊2日の生活、果ては、チェルノブイリ間近の村に棲む人々の食についてまで実に幅広く且つ重い。
中でも、著者が是が非でも行かなくてはならないと考えた国、ソマリアのモガディシオでの日誌は、元共同通信社のハノイ支局長だった著者の本領が遺憾なく発揮され、穏やかな場面の描写では、どこかギクシャクして突っかかりの多い文体が、一挙にスピードをまして滑らかになる。
ソマリア内戦に関して、ここで詳しく触れる紙面はないが、1992年に米軍を中心にした国連がPKO活動を展開したが失敗。混乱が続く中、著者は、この国連のPKO活動が展開されていたソマリアに潜入し、「モガディシオ炎熱日誌」として20ページほどの短いルポルタージュを書いている。以下、その一節を転載する。
5日目昼。晴れ。気温35度。モガディシオ港のUNOSOM2各国軍合同食堂。ドイツ、イタリア、米国など各国軍別のコーナーがある。イタリア軍コーナーに行ったら、兵士たちが、サラダ、アサリのリゾット、牛肉の赤ワイン煮、りんごのランチを食べていた。紙パックの白ワインつきだ。私にも飲みねえ、食いねえと勧めて、まるでこれじゃあパーティーじゃないか。隣のドイツ軍コーナーでは旧東ドイツ出身の兵士がソーセージと豆のランチを食べている。それを指してイタリア兵が「ありゃあクソだぜ」。あれがクソなら、ソマリア人の食事はいったいなんだ、と私は思う。
(中略)
どうにも解せない。93年度分のソマリアの復興・人道支援は1億6千6百万ドル、これに伴う軍事活動には15億ドル以上かかるという。食料1ドルにつき軍事費10ドル、どこかおかしい。(『もの食う人々』から抜粋)
ミクロからマクロを見ていく。ルポルタージュだから当然かもしれない。通常は、マクロ的な結論や普遍性を語るためのミクロである。しかし、この本は、何処までもミクロのままで終わる。
読んでいる私は、混乱したままの自分に不安を感じ、マクロ的な結論を導きたくなる。泥水を泥水のまま飲み込むことの違和感が何時までも残ることに耐えられない気分になる。
安易な結論を見出し問題を昇華することで、問題は宗教に置き換わったり、政治に置き換わったりする。それがまた対立を生み、混乱を複雑化していく。事実を事実のままみることは簡単ではないが、大事なことに違いない。
2013年も、もうすぐ終わりです。年末年始のツアーに参加される皆様の無事を祈り、新しい年を迎える準備をしたいと思います。