ここ数年の現象であろうか。
猫を飼うラサ人が急激に増えている。 民家で飼われているものもおれば、バルコルからちょっとはずれた商店なんかでも猫を飼っているところが多い。 これは2000年ごろ初めて僕がラサにやってきた時には、全くといいほどなかった光景だ。 この「猫ブーム」の正体は何であろうか。
チュールン・ゴンパ(@オルガ)の子猫
まず第一に挙げられるのが、「ネズミ対策」のためである。 チベット人曰く、元来チベットのネズミは非常に小さくあまり気にならなかった。 しかし、ここ数十年中国内地からやってくる輸送物資の中に混じって、巨大なネズミがラサにやってくるようになったのである。 体長20cmぐらいの子猫ほどの大きさのもので、こやつがかなり悪さをするようだ。 ゴンパ(僧院)などでも潜んでおり、ぺチャ(お経)をかじるので大変困るという話はお坊さんたちからよく聞く。 それでラサのお寺でも猫を何匹か飼っているところは多い。 「殺生を奨励しているのでは?」とのいらぬツッコミはこの際やめておこう。
猫の増えた理由のもう一つは、ラサ富裕層の形成である。 収入が安定どころかかなりのレベルに達したプチ・ブルジョア的なチベット人は増えている。 彼らがドキと呼ばれる遊牧民のチベット犬も含めて、「ペット志向」を強めているようなのだ。
フランスにPierreBourdieuという非常に有名な社会人類学者がいたが、彼が70年代のフランス社会の社会的階層と文化的嗜好について研究したものがある。 その理論的なことはさておき(これが実は複雑かつ重要なのだが)、あるデータによると経済的に裕福かつ文化的にも教養のある階層は猫をペットとして飼う嗜好があるようなのである。
この点がどれだけ普遍化できるかはもちろん?であるが、ある階層のチベット人のブルジョア化を考える上で「パラメーター」(もどき)ぐらいにはなるかもしれない。
さて、前回の駐在日記で紹介した我がシミカルボ(白猫)であるが、ちょっと反響があったので一言。 僕はよく猫好きだと思われがちだが、「たまたま」猫が僕の住んでいる部屋に寄生してしまうことが、ロンドンにいたときもそれから今ラサに住んでいる時もあるだけで、別に「猫ちゃん大好き〜」みたいなのは全くないのである。 そういうのは、僕のキャラとは正反対である。 でも一緒に時空を共有していると、不思議に惹かれるものがあるのは事実だ。 それはやはり、猫の不可解さというか、普段はトロいが本当は素早いところというか、広い空間の中で自分が一番心地いい場所に「ストンと落ちるように」見つけ出し、そこで「ああ寝たな」と思われた時には、非常に深い穴というか反重力のようなものが彼女の占める空間から立ち現れる、それも確信犯のように、そういうところか。
こういう奇妙な特徴をもつ、異次元に一歩踏み入れている、生き物なので普通の意味での会話はまったく成立しない。 犬とは違うのである。 「このヤク肉ちょっと腐り気味。 いい加減、新鮮なやつと取り替えてよー」とか、「屋上にちょっと散歩しに行くから、ドア開けてー」ぐらいである。 僕が理解できるのは。 村上春樹の『海辺のカフカ』に出てくるナカタやホシノのように、「精神の境界」のような場所に心身ともに移行するようなことがあるなら、真の意味での会話が一瞬でもできることがあるのかもしれないが・・・
シミカルボは、僕のこういった考えの軌跡にまったく関心ない、といった感じで、今も反重力に包まれながら寝ている。 僕のラップ(ひざ)はラップトップで占拠されているので、すねの上ですやすやと。 彼女はあと1,2週間ぐらいで出産である。 今月はチベット暦(陰暦)で4月。 サカダワと呼ばれ、お釈迦様がお生まれになり、悟りをひらかれた月である。
最後に一句。
サカダワの 満ち夜に思ふ 我臨月
(字余り)
Daisuke Murakami
6月6日
天気 曇りのち雨
気温 9−21度
服装 シャツ+長ズボンが一般的。 紫外線がかなり強いので、日焼け対策は必須。 熱射病対策に、帽子もかぶられるとよいでしょう。 異常乾燥注意報も発令しておきます。 あと雨具は持ってきてくださいねー。