文●小原 比呂志
暑さにくらくらするような夏の日、日焼け止めで肌を守り、ぬるいペットボトルを握りしめて街を歩いているとき。ふとそよ風を感じて、見ると横手の木立の中に小さな神社があった、という経験はありませんか?
手水舎から水がちょろちょろあふれてコケむしていたりすれば、すこしだけ生き返ったような気がします。なぜそう感じるのでしょう?
それは、人とコケとが、新鮮な潤いのなかにしか棲めない生きもの同士だからです。コケがあるところには、人も生きていける。
私は屋久島に住んでいますが、島を訪れた人の中には、日々森の中を歩きまわり、よく食べてよく笑い、なんだか自分の生命力が湧きあがってくるような気がした、という方がよくいます。これこそコケの森の効用ではないかとひそかに思っています。
実は、江戸時代から続く日本の観光地のほとんどは、湖、湿原、滝、大きな木、そして神社とお寺です。これらの場所には共通点があります。一つは、それが信仰の対象であること。もう一つは、水が豊かでコケを含む植物が豊かに生育していることです。
そう、日本人は昔から信仰とうるおいを求めて旅をしてきたのでしょう。もしかすると、コケを見るということは、命を補給することなのかもしれません。そのことに気がついたのが、この『コケはともだち』の藤井久子さんです。
雨上がりのチョウチンゴケの、緑のレンズのように透き通った細胞 。水をたっぷり吸い込んではちきれそう。ヒノキゴケの緑の子猫のようなふわふわの手触り。拡大して見るとまるでぬいぐるみのようなムクムクゴケ。よく見える10 倍のルーペでのぞけば、そこに異界のみずみずしい森が現れます。
コケに気がつくということは、マクロの世界に深く入り込んで行くことです。気にいったところで立ち止り、一心にルーペを覗き込んでいれば、異次元の世界にどこまでも深く入りこめる。
コケと出会い、コケを通して自分の周りの世界を見るようになる、コケの姿に親しむにつれて、それぞれのキャラクターが見えてきて、彼らの暮らしぶりが分かりだす。ミクロの豊かな生態系に視野が拡がりはじめる。その驚きと喜びの体験をつづったのがこの本です。
コケ、気になりませんか?
『コケはともだち』
著:藤井久子 監修:秋山弘之 イラスト:永井ひでゆき
(リトル・モア/ 2011年5月発行)
「風通信」47号(2013年4月発行)より転載