雲南省とチベット自治区の境にそびえる梅里雪山(6,740m)は、チベット語で「カワ・カルポ」と呼ばれる聖山である。
その主峰は王様になぞらえられ、周囲の峰々はその王妃、王子、大臣、将軍などであるとされている。
カワ・カルポからラダックまで直線距離にして約2,100kmある。かつて、この距離を旅してきた土地神がいたそうだ。
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写真:梅里雪山=カワ・カルポ
「15世紀、カム地方のサキャ派の僧侶トンパ・ドルジェ・パルサンがカワ・カルポに巡礼したのです。」
チョグラムサルにある中央仏教研究所(Institute of Central Buddhism Studies)の研究員であるジャムヤン・ギャルツェン先生が語りだした。ギャルツェン先生はかつてマト寺の僧侶であり、マト寺についての解説書を出版している専門家だ。
写真:ジャムヤン・ギャルツェン先生
ギャルツェン先生(以下「ギャ」):「トンパ・ドルジェ・パルサンがカワ・カルポを礼拝供養した時に、カワ・カルポ山の神々が彼についてラダックまで来たのです。」
私:「彼に憑依したのですか?」
ギャ:「伝承では、憑依したのではなく、彼のあとをついて来たとされています。サキャ派の高僧だったトンパ・ドルジェ・パルサンが、ラダックにやって来たとき、当時の支配者であるダク・ブムデ王からマトの地を寄進され、マト寺を建立しました。
そのとき遠くカワ・カルポから彼について来た二人の兄弟神、ロンツェン・カルポ(カルポは「白」の意味)とロンツェン・マルポ(マルポは「赤」の意味)が、マトの地に住み着いて、土地神になったのです。二人の兄弟神は、マト寺から離れた山中の祠に祀られています。毎年、チベット暦の1月7日に、マト寺の二人の僧侶に神が降りるのです。」
写真:ロンツェン・カルポ(左)とロンツェン・マルポ(右)
ギャ:「カワ・カルポからついて来た神々は、二人のほかに、まだ五人の兄弟神たちがいました。彼らは、マト以外の地で土地神になりました。彼らの住み着いた土地と名前は、ギャア村に居着いたセランと呼ばれる二人の兄弟神、ストク村に居着いたギャランと呼ばれる二人の兄弟神、スクルブチェン村に居着いたザンナムです。」
ギャルツェン先生へのインタヴューを終え、マト寺へ向かった。
写真:マト寺
マト寺は、上ラダック地区にあるサキャ派の寺だ。
レーから、上ラダックへ向かう観光客のほとんどがティクセ寺とヘミス寺を訪れるが、幹線道路から少し離れた山麓の丘の上にあるマト寺を訪れる観光客は多くない。しかし、チベット暦の1月に行われる「マト・ナグラン」祭は、地元の人々の熱い信仰を集めていて、多くの地元参拝客でにぎわうとのことだ。
マト寺に着くと新しいお堂の建築・内装中で、御本尊には、粘土製の四面の大日如来像が、ブータン人仏師の手で造られていた。そういえば、スピティのカザで見た建築中のサキャ派の寺にも大日如来像が安置されていた。
寺を案内してくれた僧侶ツェリン・ワンチュクさんは、マト・ナグラン祭のときに神を降ろす役の僧侶であった。
写真;鳥を肩に乗せるツェリン・ワンチュクさん
さっそく神降ろしについて質問する。
私:「何年間、神を降ろしているのですか?」
ツェリンさん(以下「ツェ」):「二年間にわたって、二回神を降ろしています。わたしたちは、神を降ろす(ラ・バプ)とは言わず、身を貸す(ル・ヤル)と言っています」。
私:「神降ろしの役はどのように決めるのですか?」
ツェ:「新しく神降ろしの役を選ぶにあたっては、チベット暦の10月15日に、護法神に対する祈祷をしてから、三人の僧侶の名前を書いたくじの中から二人の僧侶を選びます。」
私:「任期は?」
ツェ:「通常は4年間ですが、以前、僧侶の数が足りなかったときには、任期は7年間あったそうです」。
私:「神降ろしのためにどのような修行をするのですか?」
ツェ:「チベット暦の11月11日から、1月10日までの3ヶ月間、自室に籠もって、守護尊ケパ・ドルジェ、護法神二臂マハーカラ、土地神ロンツェンに対する祈祷と瞑想を行います」。
写真:神降ろしのときに被る帽子
私:「神が降りるとき、どんな気分ですか?」
ツェ:「胸に神の眼を描くとき、身体が熱くなりますが、神が憑依したときに気を失ってしまい、その後何が起こったか覚えていません。」
写真;黒塗りの身体に描かれたロンツェン神の目
神が降りた後、屋根の上を、目隠ししたままで駆けるという。このとき、胸に描かれた目で、憑依した神が見ているそうだ。
私:「神が降りた後でどのようなお告げをするのですか?」
ツェ;「神がどのようなお告げをしているのか、覚えていませんが、後から聞くところによると、その年の農作物の出来具合、家庭問題、ビジネスの成否、病気の経過、ほかに、転生ラマが生まれた土地の方角などについて予言やお告げがあるそうです。」
インタヴューを終えた後、ツェリンさんに、カワカルポの写真をプレゼントした。
一度、マト・ナグラン祭に参加してみたいものだ。
写真:カワカルポの写真を抱くツェリンさん
参考:梅里雪山を取り続ける写真家・小林尚礼さんのHP