第5話 ラダッキ・プンツォクさん[LADAKH]

日本を発つ前に、チベット文化研究所のHPを見た。
そこには、ラダッキ・プンツォクという人物の紹介がしてあった。

カメラを向けたらベストのアングルに。ラダッキ・プンツォクさん

“インド・チベットでシンガーソングライターとして活躍、度々テレビに出演し、映画にも俳優として活躍、監督も勤めました。自作の歌は子供たちの間で広く人気を博し、現在でも歌われています。また、ラダックでもヨガセンターを経営し、当日もヨガのデモンストレーションを行います”

この多彩な経歴の持ち主(どんだけぇー!!)。マルチ・タレントのラダッキー(ラダック人)。かれは、いったいどんな人物なのだろうか?

幸い、日本語ガイドのスタンジン君がプンツォクさんと知り合いだったので、すぐに会うことができた。

プンツォクさんの生家私 プンツォクさんは、多彩な経歴をお持ちですね。いつごろから芸能に関心を持ったのですか?
プンツォク(以下プ)わたしは、生まれてから11才になるまでチュムレ村で育ちました。9才のとき、インダス河を始めて見たとき、青く澄んでいて、村を流れる川より大きく流れている方向が違うのでショックを受けました。1962年に中国−インド国境紛争が起きた時、父親が私に近代教育を受けさせる必要があると感じたらしく、わたしは、レーの学校に送られました。レーの学校に入ってからよくみんなの前で民謡を歌っていました。わたしの祖父と祖母は、村でも有名な民謡歌手で子供ころからいっしょに歌っていたので、学校でも一番の歌い手でした。

若き日のプンツォクさん。甘いマスク私 俳優になったいきさつは?
プ レーの小学校を出た後、スリナガルの中学、そしてバラナシとプーナのフィルム・スクール(俳優養成学校)へ行きました。いまになって思い返せば、あのころの私は無知だったと思います。若いころは、ハンサムだったから(右写真参照)簡単に俳優になれると思ったのです。

私 ヨーガはいつごろから始めたのですか?
プ 俳優養成学校の授業にヨーガのクラスがあったので、そのころからときどき休んでいますが、ずうっと続けています。

私 ヨーガ教師と肩書きがありますが、教え始めたのはいつごろからですか?
プ 45才になってからです。いまでは、アメリカなどでヨーガを教えています。去年、日本でヨーガ教室を開催しましたが、生徒さんは皆喜んでくれましたよ。

私 それまでは、俳優の仕事をしていたのですね。
プ ええ、インドのテレビ番組は、15本くらい、映画は3本に出演しました。でも、俳優業は、思っていたよりも難しく限界を感じたんです。そして、36才になり、自分の演技に悩んでいたときに、インド人の仏教指導者ゴエンカ師とボンベイで出会いました。

私 ビルマで上座部仏教のヴィパサナ瞑想法を学んでインドで教えを拡げた方ですね。

プ ゴエンカ師に出会う前、彼の名前を聞いただけで喜びの感情が生じました。きっと過去世の因縁があったのかもしれません。実際に会ってみるととてもピュアな存在の方で、いままで聞いたこともないような、まるで心が洗われるような声の持ち主でした。ゴエンカ師の指導の下、ヴィパサナ瞑想を行って、悩みが解決しました。

私 ヨーガとヴィパサナの違いはなんですか?
プ インドのヨーガは流派が多すぎて、それぞれのヨーガのグルたちは、自分が権威であると称していますが、いったい何が根本なのか分からなくなっています。その点、仏教では、基本的な教えがしっかりしていて、学びやすいし、瞑想の目的もはっきりしています。

私 自ら映画もお造りになったと聞いていますが?
プ ラダックを舞台にしたドキュメンタリーを製作しました。

私 日本の印象は、いかがでしたか?
プ 広島へいったとき原爆ドームや記念館を見学し、衝撃を受けました。レーにも、原爆の悲惨な写真を展示紹介して、平和のために気づきを促すことができたらと考えたりもしました。また、わたしは、インダス河の中洲の土地を持っているのですが、そこ日本庭園を造ろうと考えています。

すごいぞプンツォクさん!!