ピャン・ツェドゥプ 女神たちが舞い降りる祭[LADAKH]

ピャン寺の仮面舞踏の祭は「ピャン・ツェドゥプ」と呼ばれている。
観劇するのは今年で3回目になるが、今回は初日の午後に寺に着いた。
昼食の休息が終わり、演目がすでに始まっていた。

(先頭を行くホルンとラッパ)

演目は、一見して「護法神の舞」であることがわかった。

(上からの眺め)

護法神とは、仏法を守護する神々のことで、普段は本堂とは別に設えてある護法堂に祀られていて、朝夕一人の僧侶が祈祷を行っている。
通常、護法堂は黒塗りの壁に護法神や動物などの壁画が描かれており、正面には大黒天や宗派ごとの護法神の像が祀ってある。
仮面舞踏祭のときには、僧侶が護法神の仮面に護法神を降ろすための魂入れの法要を行い、その仮面を被った僧侶に間接的に護法神が降りることになる。

(女神たち)

ピャン寺は、カギュ派の分派の一つディグン・カギュ派の寺で、宗派の護法神として、特別にアプチ・ハモという女神を崇拝している。この女神は、チベットの他の宗派には、珍しく開祖の祖母だそうだ。

(アプチ・ハモ)

ディグン・カギュ派の開祖は、キョパ・ジクテン・ゴンポである。かれの祖父は、カム地方のキュレ家のツルティム・ギャツォであり、キュレ家の先祖は、神々であると信じられていた。ツルティム・ギャツォは、アブチ・チューキ・ドンマを娶り、二人の間に、ナルジョルパ・チタン・ドルジェが生まれた。キョパ・ジクテン・ゴンポは、彼の子である。
ちなみに、現在のディグン・カギュ派の代表は、ディグン・キャプゴン・チェツァン・リンポチェと、チュンツァン・リンポチェの二人である。チェツァン・リンポチェは、インドのデラドゥンに、チュンツァン・リンポチェは、チベット自治区のラサに住んでいる。この二人は、ディグン・カギュ派の開祖の家系であるキュレ家の最後の兄弟の転生である。兄は、クンチョク・リクズィン、弟は、リクズィン・チョダ。この兄弟までは、ディグン・カギュ派の座主は、キュレ家の男子によって担われてきたが、この兄弟たちの代で、キュレ家には、男子の子息が生まれなかったために、以後、ディグン・カギュ派の座主は、この兄弟の転生者としてキュレ家以外から選ばれることになった。

キョパ・ジクテン・ゴンポの祖母であったアブチ・チューキ・ドンマは、ディグン・カギュ派の護法神になり、その姿は、有情を輪廻から解脱させることを示している白い衣を着て、仏の教えを護持していることを象徴している月光のような白い体で描かれている。輪廻と涅槃を明確に理解するために銀の鏡を右手に持ち、願いを成就させるための頭蓋骨の器を左手に持っている。

ピャン寺の護法堂は撮影禁止であったので、ラマユル寺の護法堂のタンカに描かれたアプチ・ハモの姿を示すが、このような姿をしている。

(アプチ・ハモ ラマユル寺タンカ)

アプチ・ハモといっしょに、舞っている神々は、ほかにも、
一同を率いている代表格であるひときわ大きい頭をしたマハーカーラ(日本の大黒天の原型)、四天王から独立して崇拝されている財宝と商売繁盛の神である毘沙門天、密教の教えを守る一つ目、一つ歯、一つの乳房、一本足のダーキニ(空を飛ぶ護法の女神)であるマモ、赤い顔して、頭に三角の旗をかざしている戦闘的な護法神ツェン・マルなどである。


(大黒天)

(大黒天 ラマユル寺タンカ)



(毘沙門天)

(毘沙門天 ラマユル寺壁画)





(マモ)

(マモ ラマユル寺壁画)





(ツェン・マル)

(ツェン・マル ラマユル寺壁画)