文・写真●白川 由紀
体はポップコーンのように車中を跳ねる
2005年の8月。私はモンゴルの鷹匠の村への途上にいた。真夏。だというのに、空気がぴりぴりと痛い。
似たような場所をいつか訪ねたことがあった。それは夏のヒマラヤ。およそ10日歩きっぱなしで標高3500mの村まで友達に連れていってもらったことがあった。
鷹匠の村は、その時の雰囲気によく似ていた。不純物がまったくないような、研ぎすまされた空気。上空の雲はカラフルな色を練り込んだ飴のようになり、空いっぱいに広がった。遠くに見えるのは万年雪。その麓には、胸一杯に吸い込んだ空気を何万回吐いてみても、全部どこかへ流れていってしまいそうなくらい、広大な草原が広がっていた。
風景はよく似ているのだけれど、ここはモンゴル。ヒマラヤではひたすら自分の足だけが頼りだったけど、モンゴルは土地の傾斜が緩いのでひたすら車。ロシア製のレトロなポンコツ車が、道もろくについていない草原を駆け抜けていく。もちろんサスペンションなんて、あってないようなもの。天上からお情け程度にぶら下がったヒモに腕を通して座っていると、体はまるで火にあぶられたポップコーン。よっこらしょと何十cmもある石にタイヤが乗っかったかと思えば、ズドッという音と共にぬかるみに落ちる。一日8時間、ひたすらそんな状態を繰り返し。鷹匠の村を目指した。思い通りにならない道に、お坊さんのような無我の境地になることを教えられ、どこまでも続く地平線をただ呆然と眺める。ドッスン。鈍い音と共に、また体が車の椅子から吹っ飛んだ。
目的地は、モンゴルでも最辺境と言われるカザフ族が暮らす村。だいぶ前に知り合ったイスラエル人からその場所の写真を見せてもらい、いつか機会があればあたしも行ってみたいなあと思っていた。
車から降りてトイレに行こうと二三歩足を進めただけで、息が切れる。景色が妙に鮮明な色使いで見えるということからしても、相当な標高のところに来ているのがわかる。
地球の果てにやってくると、毎回思うことがある。あたし達は便利な暮らしが当たり前になっていて、世界のほとんどはそんなあたし達が知る世界とそう変わりないんだろうなあといつのまにか錯覚しているのだけれど、実際に出てみると、そんな考えはどこへやら。きっとここで心臓発作を起こしたら絶対に助からないだろうし、脳溢血を起こしてもきっとオワリ。遠くにちらりと見える大草原に、ぽつりぽつりとゲル(遊牧民が暮らすフエルトで作られた家)が見える。そんなリスクだらけのところにでも、人は暮らしている。いや暮らせている。それが妙な感動になって、あたしの胸をちょっと熱くする。
大草原で車を止めると、真っ赤なほっぺたの子供達が走り寄ってきた。今日の宿泊先はその村。
余計な音一つ聴こえないその村の周りにあるのは、家畜の気配だけだった。
鷹匠の村
大きくて背が高い
ゲルの中は実に色彩が鮮やか
真夏。だというのに、ダウンジャケットが必要なくらいしんしんと冷えてきた。草原を切り裂くように大きく蛇行する川は、冬になると全部凍る。友人のイスラエル人が訪ねた真冬は、マイナス40度だったという話も聞いた。もちろん、お店などあるわけがないから、基点となる町から食料とお料理を作ってくれるお姉さんが同行してくれている。
お姉さんは、ゲルの中にあったストーブに、無造作に乾燥させた馬糞を投げ込んだ。火を放つと勢い良く燃えだす。お姉さんは持参した包丁とまな板で器用に野菜を切ると、鍋の中に放り込んだ。
モンゴルではゲルと呼ばれる移動型の住居に人々は暮らしている。観光客用のところになると、床板が張ってある場合もあるのだけれど、ここは村人が使っているゲルなので、それもなし。地面に直に敷かれた布の上に、しゃがみ込む。
家財道具は、ストーブと布と、一昨日村に嫁入りしてきたという女性のための、新婚さん用のベッド、のみ。無造作に積まれたトランクに入れられた僅かな衣類と、何十頭もの家畜が、この村人たちの財産。夏になると高地に上がり、冬になると低地に下って、移住しながら一生を終える。それでも最近はソーラーが導入されたため、アンテナさえあればカザフスタンのテレビ番組が見られるようになった。
あたしはお姉さんが作ってくれた羊肉の煮物を頬張った。東京で同じものを食べても決して美味しいとは思えないその料理が、ここではやたらと美味しい。旅の道連れのお仲間達が、ハムハムと食べる音だけが、ゲルに響く。外では家畜たちも眠る時間なのか、がさごそと静かに集まっている気配。
何もない。なあんもない。嫌になっちゃうくらいになあんもないところなのに、何かが詰まってる。
ガイドのお兄さんが敷いてくれた寝袋にくるまった。わけのわからない幸せな気分に包まれて、目を瞑った。
トイレを探しているのに扉が見つからない夢を見て、飛び起きる。
(そっか……ここにはトイレってのはないんだっけ……)
電気も水道もない村のゲルの中は、どれだけ目を見開いてみても、自分はまだ目を瞑ったままなんじゃなかろうかというくらいに真っ暗だった。眠る前に置いておいたはずの懐中電灯を手探りで探す。
“シーン……”
まるでシーンという音が大きなオブジェになって、ゲルに居座っているかのような。隣に眠っている人の頭をふんづけないようにしながら、そっと外に出た。
夜空に宝石が瞬いている。きらきら光る宝石の粒を両手一杯に握りしめて、真っ黒な壁に叩き付けたみたいに光ってる。
(あ……流れ星……)
天体の半分を大きな尻尾を伸ばして走っていく星がいた。あたしがもし東京の学校の先生だったら、子供たちに星のことをこう教える。
『お星さまはね、本当はたくさんいるんだけれど、ニンゲンが隠しちゃったんだよ』
モンゴルの田舎の空にあったのは、村人と自分達の数よりも圧倒的に多い星の数。星の明かりだけだというのに、ゲルの陰にしゃがみ込んだあたしの、長い影がそこにできていた。なあんもないところに、嫌というほどあるお星様。いろんな想いも、きらきら瞬く星たちが透明にしてくれる気がして、あたしはしばらくぼーっと天を仰いだ。
村には鷹がいた。日本ではほとんど日常的には行われなくなった鷹狩りだけれど、このカザフ族の村では冬になると今でも衣類や帽子に使うためのキツネ狩りなどが鷹を使って行われている。両手を広げると2mくらいにはなりそうな鷹が、するどい眼光でこちらを睨んでいた。
「持ってみるかい?」
村のおじさんに誘われるまま、右手に専用の手袋をつけて鷹を腕に乗せようとした。体重はなんと11kg。
(オ、オモイ……)
そしてその重さを支える強烈な爪は、その手袋さえなければあたしの腕を血みどろにしそうなくらいの握力があった。
(キツネも、この凄まじい力で鷲掴みにされたら、それこそ一撃で死んじゃうよなあ……)
村の男性たちは、冬になると“ くの字” に曲げた腕に鷹を乗せ、馬に乗って山の稜線へと出かけていく。鷹の獰猛さに磨きがかかるように、肉ではなく木の枝を食べさせ、それを吐かせて限界まで空腹にさせた状態で目隠しをし、山の天辺に連れていく。そして口笛を吹きながら、一気に鷹を空に飛ばす。鷹は谷底を走るキツネを見つけ、一気に急降下。あの鋭い爪でつかまえたところに、村の男たちはまるで騎馬隊の戦士のように走り寄る。
(今度はぜひ、冬に来てみたいなあ……)
昔ながらの生活のスタイルを崩そうとしない人々。彼らの誇りに触れた時、ぬくぬくと楽をして生きている自分がちょっぴり恥ずかしく思えた。
ゲルに使うフェルトだって、みんなで手作り
車はまたモンゴルの草原を走り出す。なあんもないところの空気は、極上の味がした。モンゴルにあるのは、圧倒的な草原と、家畜と、青空と、そんな中で逞しく生きる僅かな人々と……。そんな環境では、まず大事なのは、人が作り上げた形骸的な慣習よりも、いかに自然と向き合い自分の気持ちと向き合ってのびのびと生き抜いていくかってこと。以前モンゴル力士のスキャンダルがあったけれど、こういう環境で育っていたら、ちっぽけなことでなんで自分がそんなに批難されなくちゃいけないのか、理解しきれないことだらけだったに違いない。
実際、現地を案内してくれたガイドのお兄さんも言っていた。
「日本で彼の何が問題になっているのか、よくわかりませんよ。モンゴル人はみんなそう言ってます」
おおらかなモンゴルで、時間感覚、価値観の違いを象徴するような出来事が、あたしの前に待っていた。
360度どこまでも広がる大地。そこにぽつんぽつんと、まるでだだっ広い部屋の床にゴマを一粒二粒落としたみたいに、白いゲルが緑の草原にへばりついている。抜けるような青空には、絵筆で描いたような白い雲が生き物のように走っていく。日本だったら北海道でしか見られないような、大きく蛇行した川が、麗しい水をたたえてまるで龍のように大地に体を横たえている。そんなとてつもなく雄大なスケールの中を、馬に乗った少年がどこかに向かって疾走していく。
あたしは大きく深呼吸した。というか、呼吸をめちゃめちゃ遅くしても、ここだったら許される気がした。
5分刻みに行動することなど、あり得ない。一歩歩けば人にぶつかるなんてことも、あり得ない。
一日という時間を使って、人々は自分達の生活に必要なものを作るために、一歩一歩駒を進めていく。
「あっ!」
車に同乗していたカザフ族の女の子が、遠くのゲルを指差して微笑んだ。数人が一塊になって、わっせ、わっせと、何かを巻いていた。車を降りて、そのゲルに近寄る。途中の小川で靴を脱ごうかどうしようか迷っていると、ガイドのお兄さんがおぶってくれた。
おそらく、人が多い都市だったら、見知らぬ者がいきなり近寄れば、拒絶される。けれど、こんな環境のモンゴルでは、家畜の数が日本で言う人の数、そして人の数が日本でイグアナなどの希少動物を飼っている人の数という感じだから、見知らぬ人々も大歓迎。むしろそうでないと、彼らの環境では人は生きていけない。ムシロのようなものを、全員で満身の力を込めて丸めていた。目が合うと、みんな、はにかむように一斉に笑った。
気候がいい夏は、ゲルに使うフェルトを作る季節。
(しっかし。フェルトの、あの圧縮作業を、“手” でやっているなんて、スゴイなあ……)
刈り取った羊毛を絨毯大のムシロの上に並べ置いて、ヒモでぐるぐるに巻き上げ、あとは数人でそれを力を込めて、地面の上でぐいんぐいんと転がす。
(真ん中は通りがかりのトラック運転手)
カザフ族の人々というのは、アジア顔をちょっぴり白くして、少しだけ彫りを深くさせたような顔をしている。フェルト作りに勤しむ一家の中に、一人だけ、ちょっと顔が違う人がいた。角刈り。張ったエラ。どこからどう見ても、中国色の濃い人だった。フェルト作りを中心になってやっていたそのオジサンは、こちらが興味津々で作業を見ていると、爛漫な顔でさも可笑しそうにワッハッハッと勢い良い笑い声をあげる。
するとガイドのお兄さんが言った。
「彼は見知らぬ赤の他人だそうですよ(笑)。何日か前、自分が運転していたトラックのバッテリーが壊れてしまい、それからしばらくこの家族のゲルに滞在しているんだそうです。ほら、あそこに……」
見ると、ゲルからちょっと離れたところに、使い物にならなくなったトラックがぽつんと置かれていた。
(何かの物資を運ぶトラックだったろうに、何日も遅れちゃっていいのかなあ……)
そんなことを思いつつも、すぐに考え直した。
(いや、昨日頼んだものが今日届く世界の方が、実は珍しいんだから、これでいいのだ。というか。少なくともモンゴルは、だから、モンゴル、なのだ……)
おそらくうまく動かなくなったトラックを運転していたオジサンは、「困ったなあ……。けど、まっいっか。しばらくその辺のゲルにお世話になって、バッテリーを直しながら、ゴハンと寝床をお世話してもらう代わりに、フェルト作りでも手伝うかあ!」とでも思ったに違いない。
家族のお姉さんが、羊毛一本一本の表面の鱗状になった毛小皮を絡まりやすくするために、お湯を撒く。そしてかけ声をかけて、わっせ!わっせ!とムシロを転がし続ける。
国全部が丸ごとキャンプ場、それがモンゴルだった
今日一日の仕事は、自分のゲルのためのフェルト作り。そんな日を、モンゴルの人々は過ごし続けている。前に思ったことがある。先進国の都市生活になればなるほど、“自分の生活に最低限必要なものを調達するために、働く” というところから、隔たってしまっている節がある。なんのために働いているのかという目的を見失うということは、結構ツライ。
(そういう意味じゃ、彼らは非常に健全だよなあ……。冬を越すための“自分の家” を作るという明確な目的が、すぐそこにあって、それがとっても分かりやすいわけだから、やる気も出るわなあ……)
家の中の財産は、炊事道具と、ベッドと、ラジオと、乳製品と、保存食、くらい。身軽。簡潔。モノの奴隷になれるくらいのモノ自体がないので、人は自然に属して生きている。隣の芝生はなんとやら、かもしれないけれど、その自由さがあたしにはちょっぴり羨ましくもあり……。
なにもない場所に
何かがたくさん詰まっている
なあんもないところでの旅を続けるうち、いつのまにか麻痺した感性が、まるで絡み合った毛玉をほどいていくように、日々、鋭さを蘇らせていくのを感じていた。
旅も終わりに近付いてきた時、ふと思った。モンゴルを一言で表すと、なんだろうな。
砂埃と、馬と、太陽と、草原と、家畜と、青空と、キラキラ光る川と、夜空から降ってくる星と。
「そっか。国全部が丸ごとキャンプ場!それがモンゴルだあ!」
次々に目の前に現れる湖は、絵画のようなエメラルドグリーン。そこで裸になって泳ぐ子ども達。
飛行機の上からモンゴルの大地を見た。壮大すぎるほど壮大な大自然が、地球の肌に彫刻を施した、そんな感じだった。ニンゲンに荒らされる前の地球の面影、ここにあり。
草原の爽やかな風が、甘美な味わいを含んで、あたしの頬を撫でていった。
「風通信」34号(2008年6月発行)より転載
しゃがぁ理事長・西村幹也同行のバヤンウルギーツアー
NPOしゃがぁ理事長 西村幹也同行!
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NPOしゃがぁ理事長 西村幹也同行!
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