添乗報告記●ウズベキスタン歴史探訪9日間(2013年4月)

2013年4月28日~5月5日
文・写真●田中真紀子(東京本社)

ツアー日程
 1日目:東京・大阪⇒(乗継)⇒タシケント
 2日目:タシケント⇒ウルゲンチ⇒ヒヴァ
 3日目:ヒヴァ⇒アヤズカラ
 4日目:アヤズカラ⇒ブハラ
 5日目:ブハラ滞在
 6日目:ブハラ⇒シャフリサブス⇒サマルカンド
 7日目:サマルカンド滞在
 8日目:サマルカンド⇒タシケント⇒
 9日目:⇒(乗継)⇒東京・大阪

『シルクロード』を旅していて「大陸の繋がり」を実感できた時、なぜかとても嬉しくなります。「歴史」と呼ばれる遠い記憶を自分の中に感じられる…というと言いすぎかもしれませんが、時を越え、国境を越え、点だった旅が線へと繋がっていくのはシルクロードの旅ならではの魅力といえるかもしれません。今回の舞台は、ヨーロッパから中国に続く陸路のシルクロードの中間地点、ウズベキスタン。「歴史探訪」の名の通り、ウズベキスタンの歴史や魅力をたっぷり味わえるコースの様子をご紹介します。




【Day2】タシケント ⇒ ウルゲンチ⇒ ヒヴァ

前夜に首都タシケントに到着したのも束の間、翌朝にはタシケントの西、ホラズム州の州都ウルゲンチへ国内線で移動します。この地域は、ウズベキスタンとトルクメニスタンの間を流れるアムダリア川のデルタ地帯で、キジルクム砂漠の程近くにあります。かつてこの地域には、「古代ホレズム文化」と呼ばれるオアシス文化がアムダリア川沿いに栄えたそうですが、川が流れを変える度に、人々は街の場所変更を余儀なくされたため、周辺の乾燥した大地には「カラ」と呼ばれる城市跡が点在しています。

その中で17世紀からホレズム地方の中心地として栄えたのが、ヒヴァです。特にヒヴァのイチャン・カラ(旧市街・内城)は中世の町並みをそのまま「保存」しているといわれています。日干し煉瓦で建てられた宮殿やモスクなどが所狭しと並び、ミナレットなどに飾られたブルータイルが青い空に映えます。街の空間バランスも非常によく、小さな町なので、ガイドと一緒に数時間歩けば、町全体を把握できることでしょう。1967年に博物館都市に指定され、1990年にUNESCO世界遺産に登録されているヒヴァのイチャン・カラは、写真で見るより実際に歩いた方が、間違いなく美しく、楽しい街です。

ヒヴァ滞在中、特にお勧めなのは、早朝散歩です。日中のヒヴァはイチャン・カラ(旧市街)のあちこちに観光客相手の土産物屋が出て、観光客も押し寄せ、町も少しざわついた雰囲気になりますが、早朝はとても静かで、在りし日の姿をそのまま見せてくれているような、なんともいえない雰囲気になります。風の旅行社では、旧市街の中のメドレセ(神学校)を改装したホテルに宿泊いただく(*1) ので、夜から朝までの間ずっと、歴史ある街の中をタイムとリップしたような気分で過ごしていただけるのではないでしょうか。実際多くの観光客がイチャン・カラの外、新市街で宿泊することが多いので、朝と夜の散策は、イチャン・カラ内に泊る人の特権ともいえるでしょう。
(*1) 冬季の休業期間や混み状況により他のホテルでの宿泊となります。予めご了解下さい。

【Day3】ヒヴァ ⇒アヤズカラ

昼食後、名残惜しい気持ちを抱えながらヒヴァの街を後にし、午後はウルゲンチ方面へ北上し、かつての城市跡アヤズ・カラへ。車を走らせていくと、車窓から周囲の大地がどんどん乾燥していく様が目に入り、砂漠が近づいているのが分かります。ヒヴァから約2時間でアヤズ・カラに到着!宿泊するユルタ・キャンプでお茶をいただいた後、アヤズ・カラと、その後は有志で近くの湖散策へ出かけました。湖散策の途中、なんと陸ガメとご対面(往復ともに)。人に出会うことなんて滅多にないのでしょう、囲んで観察していたらそれだけでかなり怖がられてしまいました。また夕方少し日が傾いてくると、地中から虫がどんどん巣穴から出てきます。また砂漠の周辺には他の地域にないような植物ももしアヤズ・カラへ行かれた際には周辺散策とあわせて、動物観察をしてみても面白いかもしれません。
また、アヤズ・カラ周辺は、遺跡とユルタ・キャンプしか周囲になく、のんびりと空を眺めるには最適な場所です。夜はダウンを着込み満点の星と流れ星を眺め楽しみました。


【Day4】アヤズカラ ⇒ブハラ

早朝、日の出の1時間程前に皆さん起き始め、万全の体制で朝焼け観賞。元気な方は5時過ぎに懐中電灯を持ってアヤズ・カラまで登られ、それ以外のメンバーはのんびりとユルタの横から登ってくる朝日を眺めました。日本、しかも都会に住んでいると、なかなかゆっくり日の登り沈みを眺める時間が取れないので、旅先でのんびりと空を眺める時間は贅沢で満ちたりたものに感じました。
朝食後は、ブハラへのロングドライブ。砂漠(草の生えた砂漠。礫漠)の間をひた走る中、道端にピナクシャと呼ばれる黄色い花や、羊飼いの姿や、アムダリヤ川の支流などを眺めながら7時間後に夕暮れのブハラに到着です。

【Day5】ブハラ

サマルカンドと並ぶ観光都市で、ヒヴァと同じく中世都市と呼ばれるブハラ。現在の街は16世紀に再建されたといわれていますが、基本的な建物の配置は9世紀から変わっていないそうです。ブハラの街について詳しくはこちらをご覧いただくとして、今回はブハラの「タキ」をご紹介します。

タキとは、ドーム型の屋根付きのバザールです。ブハラは18世紀半ば以降、商業都市として大いに栄え、一時期はブハラ人=中央アジア商人の代名詞と呼ばれた程だとか。そんなブハラの旧市街の十字路にあたる場所に建てられたタキが多く、四方八方から出入りできるように入口が置かれています。また、荷を積んだラクダなどの隊商が通れるように高めに建てられているせいか、タキの中は日陰で涼しく、暑い日には涼みにながら散策するのに最適な場所です。タキ毎に取引される商品も異なり、ブハラには、タキ・ザルガロン(宝石)、タキ・テルパック・フルシャン(帽子)、タキ・サラファーン(金・両替)などが今も残っています。名前を見てわかるように、取り扱っている商品がそのままバザール名になっており、非常に分かりやすいですね。また、入口がひとつのバザールはティムと呼ばれていて、現在は土産物店などとして使われていることが多いようです。
個人的には中世の雰囲気も残し、程よくショッピングも出来、自分の街に誇りを持っている職人の多いブハラはかなり好きな街です。ブハラを訪れたら是非職人さんの店や専門店で買い物してみてください。時間をかけて、雑談と値引き交渉を繰り返していくと、店員と客という関係を超えて友達みたいに気さくに接してくれるようになり、素敵な笑顔と思い出をくれることでしょう。


【Day6】ブハラ ⇒ シャフリサブス ⇒ サマルカンド

前日のブハラの夕食、ウズベキスタン風スペイン料理が合わなかったのか、この日の朝、お腹を壊した方が複数名。そうなのです…ウズベキスタン料理は美味しいのですが、油が少しきつく、気づかずに食べ過ぎていることがしばしば。そして気づかぬうちに胃が弱り、何かのはずみでお腹を壊す方が多いのです。アヤズ・カラで美味しさのあまり夢中で食べた揚げパン&ハチミツ、その他の美味しい料理の数々も、苦しんでいる間は恨めしく思い出されます。でも後日復活してからは、やっぱり美味しくて、様子みながら食べてしまったのですが。
皆さんもご旅行の際は、食べすぎにご注意ください。

【Day7】サマルカンド

ウズベキスタンを旅する人が必ず訪れる場所、絶対に外せない場所と言っても過言ではないサマルカンド。私達もブルータイルで有名なレギスタン広場、悲しい伝説の残るビビハヒニム・モスク、グリ・アミル廟、シャーヒ・ズィンダ廟を訪れました。中でも印象的なのが、シャーヒ・ズィンダ廟の中でも最も神聖とされるクサム廟の中で、イマーム(皆の先頭にたって礼拝を執り行うイスラム教の導師)がコーランの一説を読み上げる機会に恵まれたこと。お布施をした方の希望にあわせて礼拝が行われるのですが、その場に居合わせた人は全員祈りを一緒に捧げます。イマームの美しい声によって廟内には荘厳さと恍惚感があわさったような異空間が瞬時に作り上げられていき、イスラム教徒ではない私達も自然と手をあわせていました。


【Day8】サマルカンド ⇒タシケント

旅の終わりが刻一刻と近づいているのを嘆きつつ、首都タシケントへ戻ります。到着後、歴史がお好きな方なら必見のウズベキスタン歴史博物館を見学後、中央アジア唯一の地下鉄に乗車してチョルスー・バザールを訪れました。地下鉄や空港など公共機関は写真撮影禁止なので、お見せできないのがとても残念なのですが、タシケントの地下鉄は駅毎にテーマが決められ、ロシア人宇宙飛行士が壁に描かれた駅、鍾乳洞みたいなデザインがされた駅など、かなり面白い。そして走っている列車もかなり年代もので味があります。是非タシケント滞在中に一度は地下鉄乗車も体験されてはいかがでしょうか。

現代では当たり前のことも、長い長い時間の中で、作り上げられてきたものなのだと、ウズベキスタンにいると改めて考えさせられます。シルクロードを語るときによく使われる「民族の交差点」という言葉がまさにぴったりなウズベキスタン。知れば知るほど面白さが増していく不思議な魅力を持つ国をいつか是非訪れてみてください。


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