*風のメルマガ「つむじかぜ」733号より転載
亜細亜大学での観光交通論の授業が終わった。伊勢参りから始まって、汽笛一声を皮切りに、井上勝が長州ファイブとして英国から鉄道技術を持ち帰り、日本中に広げていく話や、戦前の弾丸列車構想が新幹線、リニアモーターカーヘと繋がった日本の鉄道史を辿った。
私が好きだからという理由だけで、番外編で何故、アジアの中で日本で明治維新が起きて近代国家にいち早く生まれ変わったのか。千島樺太交換条約の歴史的な誤訳から北方領土の歴史、日清、日露の戦争の話なども交えた。しかし、歴史が苦手、というより嫌悪感に近い拒否反応を見せる学生が多く、180人中興味を持って聴いていてくれたのは30人ほどだと思う。
今の学習指導要領では、高校では世界史は必修でも、日本史は必修ではない。ネット上には、日本史を必修にすべしという主張が数多くみられる。おもに「日本人としての心を学ぶべし」という趣旨が多いが、歴史は科学であり史実を明らかにしできるだけ感情を抑えて学ぶべきであるという冷静な反論もある。
そういう議論はともかく、尊王攘夷の意味も解らなければ、明治維新の流れも全く知らない。ましてや日清、日露、日中戦争、太平洋戦争など聴いたことはあっても、どういう意味があるのかは考えたこともない。今、話題になっている徴用工問題も、日本が朝鮮を併合していた事実を知らないから何のことだか全くわからない。ましてや、北方領土に至っては、島の名称など出て来はしないし、どこにあるかもあやふやである。これでいいのだろうか。
私は、浅田次郎も言っているように、学生たちが、自分の国の歴史を知らない状態で平然としていられることが理解できない。今という時間は、過去の歴史の上にある。歴史を知らなければ、現在も理解できない。ましてや、未来を予測することなどできるはずがない。自分が生きる世界が、これからどうなっていくのか知りたくはないのだろうか。
先週、半年の授業の終了試験を行い、授業の感想も書いてもらった。こんな歴史があったなんて知らなかった。昔の人たちの努力の賜物と感謝したい。もっと学びたい。などと殊勝なことを書いてくる。どうか、その前向きな思いを、自らの知的探求心の深化に使ってほしいものだ。授業でなくても学ぶことは幾らでもできる。今すぐでなくてもいい。いつか、そう書いたことを思い出して行動してほしいと願う。
★弊社代表取締役原優二の「風の向くまま、気の向くまま」は弊社メールマガジン「つむじかぜ」にて好評連載中です。