ムスタン旅日記:2 いざアッパームスタンへ!

ムスタン旅日記:1 空路?陸路?でポカラからジョムソンへ のつづきです。
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名産のリンゴがなっていた

名産のリンゴがなっていた

ツアー4日目。
朝6時に目を覚ますと、窓からは名産のリンゴが実っているのが見えた。
外は相変わらず厚い雲が出ている。宿の目の前にあるジョムソン空港は閑散としていた。今日も飛行機は飛ばないだろう。


閑散としたジョムソンの町

閑散としたジョムソンの町

ヒマそうな空港の門番

ヒマそうな空港の門番

朝食を食べて7時に出発。
昨日の遅れを取り戻すべく、ジョムソンから一気にローマンタン(アッパームスタン)を目指す。
移動距離はわずかに100㎞弱なのに、予想行動時間は約10時間……。

ジョムソンから3台のジープに分乗し小1時間走ると、チェックポストがあるカグベニに着く少し手前で、パンダコーラ川とカリ・ガンダキ川の合流点で停車した。他にも数台車が止まっている。どうやら増水して渡渉できなくなっているようだ。ガイドのDさんに聞くと、こういうときは近くに待機しているブルドーザーやショベルカーなどが助けに来てくれるから心配ないそうだ。

ローカルバスもブルドーザー待ち

ローカルバスも渡渉待ち

採石に来ていたトラックが川の中でスタックしたので、暇そうにしていた男たちが集まって助け出している。われらがガイドのDさんも張り切ってトラックの荷台に乗って石を外に放り出している。楽しそうだ。

スタックするトラック

スタックするトラック

こんなときは焦っても仕方ないので、助けが来るまでお客様と川原でアンモナイトを探しながらしばらく待っている。「ヒマラヤ山脈が大昔は海の底だった」と言うのは有名な話で、パンダコーラが注ぐカリ・ガンダキ(ムスタンではムスタン・チュと名を変える)の川原ではアンモナイトの化石がよく見つかる。近所の子供たちが化石を拾ってはツーリストに売れば、良い小遣い稼ぎになるようだ。

参考: ネパールはどうなっていたか -ジョムソン街道を歩く-

近くで新たに橋を作る工事をしているのだが、なぜだか作業をしている人の姿は見当たらない。現場には、作業員なのか、車が通行できるのを待っている人なのかわからないが、男たちがたむろしているだけである。「今の時期、いくら作業しても川に流されちまうよ!」と思っているのかも知れないが、お願いだから作業員の皆さんには働いて欲しいものである。

橋の建設現場にたむろする男たち

橋の建設現場にたむろする男たち

そうこうするうちに対岸に大型のショベルカーが登場する。激流をものともせずに川に突っ込み、ジープが渡りやすいように河床を平らにしてくれる。(私の脳内テーマソングは幼いころに見たアメリカのTVドラマ『特攻野郎Aチーム』♪ ) 

助けにきたショベルカー

助けにきたショベルカー

カグベニにつくと、ガイドのDさんがチェックポストで手続きをしている間、お客様を連れてカク・チョエデ・ゴンパ(サキャ派)を見学する。このゴンパ(僧院)では最近新しい本堂が出来てばかりで、古いお堂は博物館として一般開放していた。

新しいお堂(左)と古いお堂(右)

本堂では多くの少年僧を見かけた。サッカーをしたり、走り回ったりととてもかわいい。国は違うがインドのダラムサラでサッカーのワールドカップに夢中になる少年僧が出てくる『ザ・カップ』という映画を彷彿させる。ゴンパの僧侶学校は2009年にたった3人の子供からスタートし、現在は45人の少年僧たちが修行していて、成績の優秀な子供はインドのデラドゥンにあるサキャ派の総本山に進学してエリート教育を受けるんだとか。

僧衣でサッカーに興じる小坊主

僧衣でサッカーに興じる小坊主

そんな説明をしてくれる先生の英語もとても滑らかで知性と自信が溢れている。
「あなたも仏教徒ですか?」と聞かれ、「もちろん!」と得意げに腕に巻いた数珠を見せた」が、
「格好ばかりでは意味がありませんよ」と涼しい顔で返された。何かを見透かされたようでドキッとさせられる。

村を歩いて北側に抜ける。
カグベニの村は、仏塔のある南側からマニ壇のある北側まで建物が相互に繋がっていて、その間を縫うように走る通路は、まるで迷路のようになっているのだが、北の門にはメメ(お爺さん)、南の門には「イビ」(おばあさん)という守り神が祭られている。
建物は典型的なチベット式で分かりやすくチベット文化圏に来たことが分かる。

北の門を守るメメ(お爺さん)

北の門を守るメメ(お爺さん)

カグベニからジープでしばらく進むとカリガンダキ川が急にすぼまった地点に差し掛かる。
巨大な一枚岩が流れを堰き止め、さらに細い激流を形成している。
そこには鉄の橋がかかり、車を乗り換える必要がある。
橋の上部を見上げると沢山の洞窟が見える。かつての修行窟だそうだ。

手前の岩は巨大な一枚岩 上には瞑想窟の跡

手前の岩は巨大な一枚岩 上には瞑想窟の跡

対岸に渡りジープを乗り換えて、サマルへ向かう。
サマルとはチベット語で「赤土」の意味で、文字通りグランドキャニオンを髣髴させる赤土のダイナミックな景観が広がる。

サマルは小さな集落でトレッカー用のゲストハウスが数件建っている。
ここで少し遅めの昼食となった。

事前に情報が入っていたのだが、このサマルからシャンモチェンの区間で道路が流されてしまい、1時間ほど歩いて、川を渡渉しなければならないと言われていた。歩くの1時間だが、実際に河を渡らなければならないのは5~10mほどで、流れもさほど急ではない。しかもドライバーさんやガイド、サブガイドが総出で石の渡し場を作ってくれたので、危険もなく、濡れることもなく、無事に全員が渡りきることができた。むしろ、なかなか楽しいアトラクションだ。

道が川と同化している

道が川と同化している


渡渉地点

渡渉地点

荷物はトラクターをチャーターして、対岸へ運んでもらう。
どんなぬかるみでも走れる、トラクターの正しい使い方を見た気がした。

悪路をものともしないトラクター

悪路をものともしないトラクター

渡渉を終えると、トラクターから荷物を降ろして、再びジープに分乗する。
しばらくは悪路に苦しむがどうにかシャンモチェンに到着。
ここまでがムスタン郡で下ムスタン(LOWWER MUSTANG)というエリアだったのだが、
いよいよここからが上ムスタン(UPPER MUSTANG)、ムスタンの心臓部に突入だ。

シャンモチェンの峠から標高が下がるとギリンの村が見えてくる。
茶色い岩山とピンク色のソバの花のコントラストが美しい景色にホッとする。
ようやくムスタンに突入した実感がわく。

ギリン村とソバの花

ギリン村とソバの花

周辺は真ん丸い石がゴロゴロと転がる火星のような荒涼とした風景。
再び峠を越えると、飛行機が飛んでいれば昨日泊まるはずだったゲミだ。
ここも一面ピンクのソバ畑だ。畑の向こうには虹も出ている。ようやくたどり着いた我々を歓迎しているんだろうか?
家畜が村の中を行き交い、それを追う子供たちが通り過ぎる。徐々に緑が増え生活感が出てくる。

ソバ畑の向こうにかかった虹(ゲミ)

ソバ畑の向こうにかかった虹(ゲミ)

ゲミの村の中を悠然と歩く牛たち

ゲミの村の中を悠然と歩く牛たち

牛を追う子供たち

牛を追う子供たち

ゲミ村の外れを通過するときには、仏教をこの地に伝えた聖者パドマ・サムバヴァが退治した魔女の腸と肺のあとだとされている真っ赤な断崖と、長大なメンダン(マニ塚)を眺めながらとなったが、もう夕暮れが近づいているので、写真は帰るときにしましょうと先に進む。河口慧海が長く滞在したツァラン村も、通過したときにはすっかり日が暮れて全貌が分からないままだった。帰りに立ち寄るのが楽しみだ。

20時ごろ、ようやくかつての「ムスタン王国の首都」ローマンに到着。
夕食後、長いドライブと3,800mの標高に、皆さんややふらつきなりながら就寝となる。疲れは見えるが、皆さん健康状態はさほど悪くはなさそうだ。
ムスタン王国、そしてローマンタンの全貌は、いよいよ明日からのお楽しみである。(つづく

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ネパール最奥に息づくチベット世界

終了ツアー ジープで行く 禁断の王国・ムスタン探訪11日間

出発日設定2022/10/07(金)
ご旅行代金678,000円
出発地東京・大阪
np-sp-77_2022 np-sp-77_2022

終了ツアー