明智光秀。いわずと知れた本能寺の変の主役である。その前半生は明らかになっていなかったが、織田信長に士官する以前、武将としてだけではなく医師としても活躍していたことが判明した。熊本県の細川家に伝わる古文書のなかに光秀が処方したとされる薬が発見されたのである。その名も「セイソ散」。黄檗(第174話)ヤマモモの皮、忍冬、芭蕉(注1)、この四つの薬草からなる傷薬で、もともとは越前(福井県)の朝倉家の秘伝薬である。
セイソ散の処方から真っ先に岐阜県の「下呂膏(げろこう)」が思い浮かんだ。黄檗と楊梅皮(ようばいひ。ヤマモモの皮)からなるシンプルな処方で主に打撲、神経痛に効くとされ、森のくすり塾(長野県上田市)の主力商品の一つでもある。白色の下着に黄檗の黄色が付着してしまうために敬遠されがちであるが、少なくともグンゼの白い下着が普及する以前には問題にはならなかったはずだ。セイソ散との直接の関わりを伺わせる資料は存在しないが、かつて光秀が美濃の斎藤道三に仕えていたことを考えると、その源流において関わりがあったのではと想像が膨らむ。また、滋賀県の近江八幡に伝わる神教丸(しんきょうがん)はセイソ散と同じく黄檗と楊梅皮を含んでいる。この二つの薬草の組み合わせは美濃、近江、越前の医師たちのあいだで流行していたのではという仮説とともに、明智光秀はその流れを汲んでいたのではと、これまた想像が膨らんだ。
忍冬(にんどう。スイカズラ)からは真っ先に徳川家康が思い浮かぶ。家康は医師としての実力も一流であり、自ら処方した薬で部下たちを治療していたという。なかでも忍冬を漬け込んだお酒を愛用し、忍冬酒は浜松の名産品となっている。ちなみに明智光秀に討ち取られた織田信長は伊吹山に広大な薬草園を作らせたとされる。日本の時代劇は過度に演出された合戦シーンだけではなく、薬に関わる場面を積極的に登場させてほしいものである。
鎌倉時代の争乱に端を発して発展したのが日本刀であり、そして刀傷など怪我に対する秘伝の薬が戦国時代に発展し、専門の医師は金創医(きんそうい)と呼ばれた。江戸時代になっても傷薬や伝統薬は各藩で奨励されて発展を遂げた。しかし明治維新後の1877年西南戦争が勃発。これは日本史上初めて大量の銃火器を互いに用いた内戦とされる。その結果、それまでの刀傷を治療する膏薬はさほど役に立たず、消毒薬である蒸留アルコールと石炭酸(フェノール)、麻酔薬クロロホルムを用いた西洋医学が有効であることが明白となった。その影響で6年後の1883年(明治16年)、医師免許規則が改正されて漢方は制度上否定されたのである。なによりも従来の伝統薬は西洋薬のように工場で大量生産ができない。つまり大量の負傷兵が生じる近代戦争に対して対応できない。その意味で西郷隆盛がその後の医学に与えた影響は計り知れないほどに大きいといえる。
チベットに目を向けると「消化不良にお湯、傷にバターを処方したことが薬の起源」という有名な格言があり、それは現代に受けつがれている。白湯はよく飲むし(第214話)、バターが豊富なゆえに傷だけに限らず、チベット高原の強烈な紫外線から皮膚を守るために普段から用いられている。またチベットの遊牧民は怪我をしたときは身に付けている毛皮、たとえばカワウソの皮を切って傷口に当てたり、身に付けている羊毛を少し燃やして、その灰を傷口に塗っているが、どちらも極めて理にかなっている。常に身に付けている服や、食料として携帯しているバターを薬として活用する知恵はさすが遊牧民ならではといえる。ただしチベットの中近代において日本の戦国時代のように戦にあけくれた時代は存在しない。したがって素朴な民間療法は存在していても、幸いにしてというべきかチベット医学を象徴するような秘伝の傷薬(マ・メン)は生まれなかった(注2)。事実、メンツィカンには200種類ほどの内服薬があったが傷薬は一つか二つしか存在しない。
言い換えれば不幸なことに、多くの争乱の犠牲の上に日本では伝統的な傷薬が発展したといえる。そして戦国時代、世界大戦が過ぎ去って平和な時代のいまだからこそ、かつての兵(つわもの)たちに思いを馳せながら、ちょっとした傷や打撲、神経痛ならば岐阜の下呂膏、千葉の金創膏、鳥取の伯州散、京都の雨森無二膏、鹿児島の常盤白紅、佐賀の打身丸など現代に受け継がれている各地の伝統薬を是非試してみてほしい。
注1
芭蕉はバショウ科の植物。バナナに似ているが食べられない。他の三つの薬草ほどには汎用されず、ちょっと珍しい薬草。俳人松尾芭蕉の俳号であるが、その由来は諸説ある。
注2
傷薬は発達しなかったがチベットではマニ・リルプ(第36話)やリンチェン・リルプ(第86話)などの秘伝の法薬は発達し現代に受けつがれている。またモンゴルのバリアチ(伝統医 第242話)は落馬に伴う骨折や打撲、脳震盪への施術に自信を持っていた。騎馬民族ならではの医療文化である。
参考:「麒麟がくる」光秀と福井の関係(福井新聞ONLINE)
参考図書
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『日本の薬学』(辰野高司 薬事日報新書 2001)
『日本の伝承薬』(鈴木昶 薬事日報社 2005)