チベット社会には思春期特有の第二次反抗期が存在しないことに僕はあるとき気がついた。日本では中学高校生になると親とあまり口を利かなくなり、一緒に出かけることを嫌う傾向がある。同学年や先輩後輩にはめっぽう気を使うが、馴染みのない大人にはどこか素っ気ない態度を見せる。部活動と受験勉強が忙しくなり地域社会との関わりを断ってしまう。かくいう自分自身が典型的にそうだったし、特に僕の前後の世代は当てはまるのではないだろうか。
いっぽうチベットでは思春期の子たちは両親、親戚とあいかわらず仲良く暮らし、親の面倒をよくみるし家の仕事を手伝う。日曜日にお寺で開催される高僧の説法では老若男女を問わずいっしょに耳を傾け、冬休みには親族一同で巡礼に出かける(注1)。日本だと道を訪ねるのも躊躇してしまうほどに刺を出す年代だが、チベットの彼ら彼女たちはとても朗らかで声をかけやすかった。メンツィカン(チベット医学大学)の同級生たちに日本の第二次反抗期を説明したことがある。彼らは「噂では聞いていたけど本当なんだね」と笑ったあとに「チベット人も幼少期の反抗期はあるけど、それが終わってからまた反抗期なんて、子どもっぽいことしたらみんなから笑われちゃうよ」と答えてくれた。チベット語で反抗は「ンゴゴル」といい、語頭のンは軽く発音してほしい。
自分の両親がダラムサラ(北インドにあるチベット人の住む街)を訪れたときは、チベット社会の雰囲気に影響を受けたのであろう、普段にはないほどに朗らかに両親に接してしまった。チベット社会のおかげで30歳にしてようやく第二次反抗期を終えることができたといえる。こんな頑なな自分を変えてしまうほどに、チベット社会がもつ教育的な背景は無自覚なまでに早熟している。ただ見方によっては日本は第二次反抗期が存在できるほどにゆっくりと成長できる長寿社会だともいえる。また、社会が複雑になればなるほど幼児期は必然的に長くなるとされるが(注2)、たしかにチベット亡命社会は日本に比べて国家的な法の支配力が緩い(第268話)ことを考えあわせるとなるほどと納得させられる。
もう一つ、親からの経済的自立を重要視しないこともチベット社会における新鮮な異文化体験だった。メンツィカン在学中は日本人から「メンツィカンでの学業にかかるお金や滞在費はどうしているんですか」とたびたび聞かれたものだった。それは、やや不快感を覚えるほどに頻繁にであり、いっぽうチベット人からはその質問を受けた記憶は数回ほどしかない。日本人からの質問に対しては「日本の農場で働いて貯めたお金を切り崩している」と答えていた気がするし、事実そうだったが、そう答えなければという同調圧力を感じとっていた。10代ならともかく、いい年をして親のお金で学ぶことに対する批判的意識が(女性よりも特に成人男性に対しては)日本には強烈に根差している、と僕は思う(注3)。またアルバイトをして学費を稼ぎながら学ぶことを美談とする風潮がある。
だからこそチベット人からこの質問を受けたとき、両親から経済的に自立していることをかなりムキになって強調したのだが、結果、両親との疎外感を強調することになり、かえって印象は悪くなったことがあった。チベット社会では年齢を問わず学問に際して親に限らず親戚や外国人スポンサーにお世話になるのは当然とする風潮がある。それは、チベット寺院の学僧たちがお布施のお世話になりながら生涯を通じて仏教を学び続けることに象徴されている。仏教社会に倣っているメンツィカンにおいてもアルバイトは禁止されており学業への専念が義務づけられていた。学費と生活費を負担するのは家族の場合もあれば外国人の場合もあるし、資金の出どころの違いを気にはかけない。結局、メンツィカンを卒業するころには「基本的には日本で働いて貯めたお金でしたが、後半の5年間は毎年帰国のたびに親から20万円もらっていたし、年に2、3回は内緒で現地ツアーガイドのアルバイトをやっていました」と日本-チベット文化折衷の答えに落ち着いたのである。こうしてムキにならず素直に「親から少しお金をもらっていました」といえるようになった自分を顧みることで、あらためてやっと親への反抗期が終わったのだなと実感できた。
チベット社会で暮らしたおかげで、少し肩の力を抜いて生きられるようになった気がする。
注1
八世紀に編纂されたチベット医学聖典『四部医典』には日常の養生法として「師匠、父、叔父など年配者たちを尊敬しなさい。/地域の人たち、朋友、仲良くすべき人たちと心を合わせなさい。(釈義相伝第13章)」と記されている。また、第二次反抗期が存在しないのはチベット社会だけに特有な事象ではなく、おそらく多くの民族において見られると思う。
注2
社会生活がますます複雑になれば、必要な能力を獲得するためのいっそう長い幼児期が必要になる。 『民主主義と教育』(デューイ 岩波文庫 原本はアメリカで1916年発刊 ※amazonのサイトへ移動します)
参考
日本では30歳以上の学業就学率がヨーロッパ諸国やアメリカなど(つまり20歳以下の就学率が極めて高い国々)と比べて極めて低いことが知られている。