かつてチベット政府は決定しがたい国の大事などを定める際にセンディルと呼ばれる神託を用いてきた。別個の答えを書いた複数の紙を一つずつツァンパ(大麦粉)を練ったもの(セン 注1)のなかに丸めこんで(ディル)同じ大きさの球につくり、それらを椀のなかに入れて、護法神の前でおごそかに法要を行ない、三昧に入った導師が椀を回して答えの一粒を椀のなかから飛び出させて、それを護法神の御意向を決める(注2)。平たくいえば「聖なるクジ引き」である。1951年ダライラマ14世のラサ脱出は「諾」と「否」の二択センディルによって決定されたと『セブンイヤーズ・イン・チベット』のなかでハインリヒ・ハラーが詳述している。近年においてチベット亡命政府は神託ではなく議会制度によって大切な決定をおこなっているが、たしかに一般社会にはクジ引きに対する正当性が根づいているような気がする。
法要を伴わない一般的なクジ引きはチベット語で「ゲン(責任)ギャブ(を引く)」という。たとえばメンツィカン(チベット医学暦法大学)のデチェン先生は授業中、どの生徒に当てるかをクジを引きながら楽しんでいた。特に僕の学年は席変えが大好きで、毎月のようにクジを作っては席を変えていた。なにしろチベット人同級生たちはクジをつくる手際に慣れている。5人の先生方がどの授業を受け持つかをクジで決めていたのには、失礼ながら「それはないでしょ」と思ってしまった。メンツィカン卒業時に研修先の病院を決めるのはクジで、生徒全員の公開の場で行われた。またモと呼ばれる伝統的なサイコロ占いに決定を委ねるケースも多い(第84話)。ダライラマ法王はこうした風習を尊重しつつも、クジや占いに依存しやすい体質を批判的に何度か述べられている。ただし医療現場においてこれらに依存することはまったくないことを断っておきたい。
しかし冷静に考えるとプロ野球のドラフト選択会議に代表されるように、日本でもクジ引きが盛んである。小さい頃「どちらにしようかな、かみさまのいうとおり、……(注3)」と唱えながら選ぶ風習は日本各地に根差していたが、これも「かみさま」に判断を委ねる神託の一種といえる。日本人は特に政治・行政レベルで決定力を欠く傾向があるのは、幼少期のこの習慣によるのではと大胆な仮説を立ててみた。チベットには同様の童遊びは存在しない。ジャンケンもある意味(多少のテクニックはあるにしても)クジ引きのようなもので、やはりチベットにジャンケン文化はない。正月は神社でおみくじを引くが、これもチベットにはない。こうして書いているうちに日本こそクジ文化が盛んなのではと思えてきた。それがいけないのではなく、どうせなら政府レベルの重要な決定にセンディルのような神託を取り入れたならば社会として一貫性がとれるのではと、さらなる大胆な仮説を立ててみた。
そして何を隠さなくとも、僕がチベット医学を学びにダラムサラへ行くか行かないかは、クジ引きに委ねられた経緯がある。1998年27歳の僕は農場とドラッグストア(長野県佐久穂町)を掛け持ちで働いていた。ドラッグストアでは管理薬剤師という立場で店の責任者である。雇われの身分とはいえ僕が名乗り出たからこそはじまったドラッグストアを簡単に投げだせるほど僕は無責任ではない。日本を飛び出したいと思ってもそれは叶わぬ夢。そうして悶々とした日々を送っていた11月上旬、店のオーナーが僕を呼びだした。「実は……近所の酒屋が閉店するので、酒販売の権利を譲り受けたいのです(注4)。でも他に手を挙げている人がいて倍率は5倍です。もしも当たったらですが薬店の半分を酒屋に改装しますが気を悪くしないでほしい……」とオーナーの控えめな言葉が終わるのを待つまでもなく僕は「この際、全部、酒屋にしてしまいましょう。酒のほうが儲かります!」と身を乗り出すように言葉を返していた。僕はいまでも「えっ!?」という店長の顔が忘れられない。それからクジ引きまでの10日間、ドラフト会議の指名を待つかのような気持ちだった。結果はいうまでもない。2ヶ月後、僕は円満退職しダラムサラへと向かっていたのである。もしもあのとき酒屋のクジに外れていればドラッグストアを辞める大義名分を失って日本を離れられなかった。その意味ではセンディルに象徴されるチベットのクジ文化が僕を引きよせたのではと、いまとなってはロマンチックに考えている。
注1
一般的にパーと呼ばれ、地方によってセンと呼ばれる。
注2
タク(印)ディル(包む)とも呼ばれる。
注3
まったくの余談ではあるが富山県高岡市戸出西部保育園では「かみさまのいうとおり、あっちゃんこんべー、ち・ゆ・く・り・ん・し・や」と唱えていた。もちろん意味は不明である。
注4
当時、一定の区域における酒屋の数が制限されており、酒屋の権利を得るのは難しかった。この年1998年から規制緩和がはじまり2005年には事実上、酒の販売は自由化された(第206話)。
参考文献(amazonのページにジャンプします)
『チベット 上』(山口瑞鳳 東京大学出版会 1987 P137)
『セブンイヤーズ・イン・チベット』(ハインリヒ・ハラー 角川文庫ソフィア 平成9年 P441)