毛利元就か、アベノミクスか。
すでに少し懐かしい響きをもった言葉となりました「3本の矢」。
今なら「マスク」「PCR検査」「ワクチン接種」でしょうか。
なんてことを書くつもりはなく、奈良県にも「3本の矢」伝説があったというお話です。
日本書紀によると神武天皇の3代前の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の天孫降臨とは別に、
天磐船(あまのいわふね)に乗って天から降りナガスネヒコを帰順させ大和地方を治めている神がいました。
それが饒速日命(ニギハヤヒ)の神。物部氏の遠い祖先だそうです。
結局ナガスネヒコは日向から東征してきた神武軍と戦うことになるのですが、
「紀」には、ナガスネヒコは天羽羽矢(あまのはばや)を神武天皇に見せることで、
自分が崇めるニギハヤヒが天から来た神であることを認めさせる場面が出てきます。
さて気になる伝説ですが、それによると、そのニギハヤヒが宮地を定めるため天磐船から3本の矢を放ったというのです。(おそらく天羽羽矢でしょう!)
きっと「宮地=三矢地」「ニギハヤヒ≒二矢地」みたいなところからの作り話だろうと思いながらも行ってみました。
場所はその名も”矢”田丘陵の中央部。矢田丘陵は奈良北西部に生駒山地と並行して南北に延びる丘陵地帯。北は大阪との県境(白庭台あたり)、南は法隆寺まで伸びてます。
※場所はグーグルマップで「一之矢塚」「二之矢塚」「三之矢塚」と打つと出てきます。
一之矢の碑は開けた水田地帯の中の小さな塚に、
二之矢の碑は6世紀頃この地方で信仰を集めていたという矢田坐久志玉比古神社の中に、
三之矢の碑は山に囲まれたのどかな田畑の中にありました。
地図で見ると、3点はほぼ一直線状にあり、そうなると気になるのが、どこから放ったのか!?
地図上でその直線を伸ばしてみると、(だいたいですが)南の線上には物部神社が、北の線上には磐船神社がありました!!
ともにニギハヤヒが祀られている神社で、特に後者はニギハヤヒ降臨の地と言われる聖地で、
川が流れるに巨石が複雑にからみあった神々しい場所として知られています。
(次は磐船神社を目指します)
ちなみに、二之塚のある矢田坐久志玉比古神社は、ニギハヤヒが古代の飛行船を想像させる「天磐船」で飛び回った故事にちなみ、空の神様や飛行の神様と崇められているそうです。神社には奉納されたプロペラが飾られてました。
合わせて海外旅行復活の祈願もしてきました。
コメント一覧
藤谷法圓2021.06.03 08:44 pm
川崎洋一(風の旅行社 大阪支店)2021.06.04 11:06 am