夏の暑さが増してくると、寝苦しい標高400mの自宅ではなく、冷涼な700mのお店で寝泊まりするようになる。そんな7月10日の夜10時ころ、森のくすり塾のまわりに奇妙な鳴き声が一定間隔で響き渡った。「ヒューーイ」「ヒューーイ」。もしや鹿が畑に近づいたのではと警戒して懐中電灯を持って周囲を照らすがなにもいない。声は森のなかからやってくる。と思ったら、あっちから、こっちから移動しながら聴こえてきた。なんだこれは気味が悪い。フクロウの仲間か? 翌日も、その翌日も夜中じゅう聴こえていた。どうも気になって仕方がないので、目が覚めては懐中電灯で照らしてみる。そして近所の人に会うなり、「あの鳴き声はなんですか?」と訊ねると「ああ、ヌエだよ。特に今年はよく鳴いているね。死人鳥と呼ぶ人もいるよ。」と即答してくれた。正体がわかるとほっとする。いま、ヌエを漢字変換すると鵺と出たので驚いた。ヌエは夜に鳴く鳥で、映画「悪霊島」の「ヌエの鳴く夜は恐ろしい」という名言で有名なったそうな。10年前には別所温泉駐在所に真夜中、宿泊客から「怪しい声で叫ぶ人がいる」と通報があり、赴任していた若いお巡りさんも正体がわからずに巡回に出かけ、翌朝、地元の人に尋ねて一件落着したというから、その不気味さは筋金入りである。
ヌエ、学名ではトラツグミという可愛い名前がついているが、ヌエのほうがしっくりくる。もしも最初から「これは夜に鳴く鳥でトラツグミだよ」と可愛い写真を見せられていたら、まったく怖くないどころか、ロマンチックだなと思ったことだろう。それでは面白くない。きっと古代よりずっと長い間、夜の鳴き声の正体がわからなかったのではないだろうか。街灯もない真っ暗な夜に、この鳴き声の主を見つけることはほぼ不可能と思えるからだ。野鳥ガイドには「UFO説」も載っていて、こちらもなるほどと思ってしまう。そんな正体がわからない不気味さを1週間近く体験できたことが僕はなによりも嬉しかった。それは日本の昔の人たちと同じ体験をし、先入観なく「不気味だ」と同じ感覚をいだけたという喜びだ。(実際の写真はこのお話の最後に)
同じように月食や日食は古代において不吉なものとして怖れられ、西暦248年、その年日本で皆既日食があり、その動揺で卑弥呼は殺されたという説を耳にしたことがある。そもそも「日が食べられる」という表現からわかるように縁起のいいものではない。八世紀に起源を有する四部医典には「六日、四日、九日、日食、月食の日に医師は往診にでかけてはいけない(釈義部第7章)」とあり、やはり不吉なものとされている。チベット語では「ニマ(太陽)サァ(惑星)ズィン(捉える)」といい、やはり吉の表現ではない。しかし現代においては日本だけでなくチベット人たちもその仕組みがわかっているので、みんなワクワクしながら待っている。でも僕は古代の感覚の方に強い憧れを抱いてしまう。いったいなんなんだこれは、という大自然への畏怖に抱かれていたい。たとえば虹も江戸時代までは摩訶不思議なものとして気味悪がられ、いまも民族によっては不吉としているのは、ちょっとわかる気がするし、僕はどちらかというとそちらの感覚に共感してしまうのだ。ちなみにチベットでは悟りをひらいた印として身体が虹色に輝くとされ吉兆として認識されている。
幸いにして僕はスマホを持っておらず、お店にインターネットはひいていない。現代人ならばすぐさま「夜に鳴く鳥」で検索して「なーんだ、トラツグミか」で一件落着していただろう。しかしその反面、現代日本人はわからないままでいることに慣れていないために、わかりやすい情報に飛びついてしまう弊害が指摘されている。たとえば「○○に効く」と謳う健康食品がそうであり、最近のコロナ情報もしかりである。その結果、フェイクニュースに惑わされることになる。たしかにそういわれれば、チベット人は保守的な傾向はあるとはいえ、そうした情報に飛びつくことは比較的少ない。
ヌエから話が大きく脱線しまった。こんな話を面白おかしくお客さんにしたところ、10歳の女の子が「ヌエ、知ってるー。名探偵コナンのアニメに出てきたよ!」と教えてくれ驚いた。とはいえ東京育ちの彼女はもちろん鳴き声を聴いたことはないし、実在の鳥だとは思っていなかった。「夜の11時くらいから鳴きはじめるから、今日は頑張って夜更かししてみな」と教えてあげると張り切って宿へと帰っていった。でも、そんなにワクワクしながら待たれていたら、さぞやヌエも鳴きにくかろう。
注
8月に入るとヌエはいなくなりました。
参考:
アニメ 名探偵コナン(読売テレビ)
第872話 「コナンと平次の鵺伝説(鳴声編)」
第873話 「コナンと平次の鵺伝説(爪跡編)」
第874話 「コナンと平次の鵺伝説(解決編)」
映画:悪霊島のDVD(アマゾン)
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