旅への根源的な欲求

弊社のフタッフにも、ついに陽性判定をうけた者が出た。今後もありうる話だ。月、木しか営業をしていないが、場合によっては、それすらも一時的に止めざるを得ないかもしれない。何とかクラスターだけは避けたいと思い、出勤者を少なくしてローテーションを組んでいるが、それで大丈夫という保証はない。

陽性判定を受けたスタッフも、自宅に自主隔離となっているだけで、保健所へ連絡したのに向こうからは何の連絡も来ず、38.9度の発熱があったのに治療も受けられないままだ。コロナ以前には、病気になっても病院で治療を受けられないなどということは考えたこともなかったが、日本という国はそんなに力のない国になってしまったのか。いやはや、妙な話になったものだ。

いったい、どこが可笑しいのか。風邪やインフルエンザの流行と何が違うのか。重症化率や死亡率が高いからまだ警戒すべき病というが、オミクロンになってからもそうだろうか。感染症法上の2類から5類への変更も、無料の治療が受けられなくなるとかコロナ以外の病気での来院が減る、などといった懸念があるようだが、もはや治療も受けられず自宅にいるだけといった人が大勢出ているのだから、そちらの方が大問題だと思えてならない。そんな議論は、政治の力で解決する方策が多々あるだろうと思うのだが、政治は歯切れが悪くなり調整ばかりしていて動かなくなってしまった。

塩野義製薬の経口治療薬のニュースは、久々の光明だった。しかし、これとて治験への協力者がなかなか見つからず承認が遅れているという。国なり自治体が主導して何故できないのか。ワクチンにしても国産は何時になったらできるのか。政治の姿がここにも出てこない。

コロナバブルという言葉を先日目にした。一瞬、目を疑ったが、状況が変化するときにはその影響には必ず濃淡がある。簡単にはいかないにしても、何をしてもいいなら稼ぐことだって可能だともいわれる。頑なに仕事に拘っていると、状況に合わせて対応し変化するものだけが生き残るというダーウィンの至言が引き合いに出される。今の私は、この至言を受け入れ難い。むしろこだわりの方が強くなっている。

変化すべきものと変化してはならないものがある。旅行をつくる仕事はITで随分変わったといわれるが、便利にはなったし、海外と無料の通信が常時できるようになり意思の疎通が格段と挙がったし、webの力は十分感じているが、旅を作る本質は、私たちにとっては何も変わらないし変えるつもりもない。人間の旅への根源的な欲求もまた変わらないとコロナ禍で逆に確信している。

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