100~130m離れた的を狙う弓技(ダツェ)を国技とするブータンが、オリンピックのアーチェリー競技(70m)で活躍できないのは「的が近すぎるから」というのは有名な言い訳である。そんなブータンを2005年に訪れた際、矢が的に当たる度に仲間たちが的の周りで伝統的な踊りを披露する光景に心を奪われた。日本の弓道では剣道、相撲と同じように当たっても外れても感情を表に出すことは許されないからだ。大学弓道においてのみ「さあいっぽん!」「よっしゃ!」などの声かけ応援が認められているが基本的に静粛のなかで、体配(たいはい)と呼ばれる一連の厳かな作法に則って粛々と矢を射る。ちなみに弓道は近的28m遠的競技が60mである。
歴史を振り返ると銃が普及する以前、それは世界中すべての民族にとって弓は狩猟の道具として、または戦争の武器として用いられ日本では戦国時代までは主役だった。しかし江戸時代になると実践性が薄れ、三十三間堂の通し矢に象徴されるように武士の鍛錬の芸事として位置づいた。明治維新によって武士がいなくなると弓の人気は著しく低下し、賭けごと(賭弓)としてかろうじて生き残っていた。当時は「的に当たればいい」という遊戯性が強かったという。そんな状態を是正すべく大正時代から昭和初期にかけて、禅と結びつくことで弓技は弓の道として復興した背景があり、たとえば練習の最初と最後に3分前後の黙想を行うのはその象徴である。「動」から極端なまでの「静」へ。こうして武器としての原理性と、遊戯としての娯楽性が弓から排除されてしまった。つまり日本の弓道の歴史は意外と新しく、人類学的に俯瞰すればきわめて特殊な存在だといえる。
その復興の立役者であり弓聖と崇められているのが阿波研造(1880~1939)、我が東北大学弓道部の初代師範である。阿波先生は「一射絶命」という言葉に象徴されるように的中よりも精神性を重要視された。したがって的中重視の傾向がある大学弓道界において東北大学は儀礼を重んじる伝統があり、体配の指導は他大学に比して厳しかったし、僕が主将になってからはさらに厳しくした。なぜなら東北大学弓道部は模範たるべき……と僕はバカまじめに捉えていた。その結果、練習過多と精神性の追及で僕は弓の楽しさを見失い、人生に思い悩み、その反動で人生の既定路線を外れてチベットへ至ることとなる。
あれから30年、最近、漠然と弓が気になりはじめていた。神社に隣接する細長い土地がちょうど30mくらいで、2016年に伐採開墾しているときから「弓場ができるなあ」と心に留めていたことが事の発端。さらに近年、鹿の爆発的な増加に伴って食害が深刻化してきていた。ならば、畑の周囲で弦音(つるね)を響かせているだけで、少しは抑止力をもつのではと考えた(注1)。とはいえ大学卒業時に弓は後輩に譲っているので手元にはなく、さすがに竹から自作するのは難しい。そんな昨冬、近所の杉の伐採を頼まれ、ちょうどいい丸太が手に入り、妻には薪小屋を作ると申告して的場を建設した。「If you build it, he will com.(それを創れば、彼がやってくる 注2)」という名言を胸に秘めつつ機が熟するのを待った。そして大学時代の親友(第93話)に冗談半分でつぶやくと、「使っていない弓をお前にやるよ」と都内から持参してくれたことで2022年8月10日、開墾から6年、ついに機は熟した。
さっそく畑の藁を棚に積んで「巻藁(まきわら)」ならぬ「積み藁」を自作し、矢をつがえ、手の内を整えて弓をしならせた。かつての練習過多のおかげであろう、身体は意外なまでに覚えてくれている。しばらく藁で練習した後、いよいよ仮設弓場へと出かけた。掘っ立て的場に、近所からもらった廃棄畳を並べ、竹と新聞紙で的を作り(36㎝)、黒い広告紙を丸く切り抜いた図星(ずぼし)を中央に貼り付けた。的の手前にサトイモの葉が茂っているのは御愛嬌。
友人夫妻と妻が見守るなか、道場開きのごとく記念すべき第一射目を放つと矢はサトイモの葉のあいだをすり抜け的の端を捉えた。「当たった!」と驚く親友を横目に、おごそかに残心をとり弓を下ろした。やはり東北大学弓道部元主将としてブータン人のように踊るわけにはいかない。そして、こうして弦音を響かせたにも関わらず夜には鹿が2頭出没して、また大豆と小豆を喰い荒らしやがった。考えてみれば現代の鹿たちは弓の怖さを知るわけがないではないか。
それでもこの森の中で、狩猟としての弓の原理性と、ブータン弓の芸術性と楽しさを内包しながら、かつて修練した弓道の精神性を実践していくことはできないだろうか。そんなことを考えつつ、とりあえず的場にタルチョ(地水火風空を表す五色旗)を掲げてチベット風に仕立ててみた。
注1
狩猟には免許が必要なので、仮に弓で鹿を射殺せば違法となる。そもそも現代の弓の威力(12~18キロ)では鹿に致命傷を負わせることはできない。
注2
映画『フィールド・オブ・ドリーム』
補足
仮設弓場は普段は畑です。森のくすり塾では弓の体験、練習はできません。
参考
『日本の弓術』(オイゲン・ヘリゲル 岩波文庫 1982)